ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
日本では食べれない斬新な丼
ここはリスボンの街でも人気な景色が見られる、ビッカ線ケーブルカーの路線です。下の駅から上に登るまでは約300mの距離。
リスボンの街にて
上から下に降りて行く車両と、下から上に登る車両がちょうど2車線路になっている箇所ですれ違います。
ビッカ線ケーブルカー
ビッカ線ケーブルカーの上の停車場では、上がって来るケーブルカーの写真を撮ろうと多くの観光客が待ち受けている姿が見えます。
ボクの個人的な”ひたすら歩きのリスボン街歩きツアー”に付いているという、無謀な選択肢を選んでしまったツアー参加者さん4人が乗っているケーブルカーが段々と近づいて来ました。
登ってきたケーブルカー 動画
そんな4人はこちらに気が付いて、手を振ってくれていましたね。
出発まで時間が掛かったケーブルカーだけど、動く時間は2~3分のみとあっという間。
でもこんなレトロな、リスボンの街の象徴ともなっているケーブルカーには多くの観光客が集まってきます。このケーブルカーに乗車するのは勿論有料ですが、ここでも「Viva viagem card」が使えます。
「Viva viagem card」はリスボンの地下鉄を運営する会社が発行しているカードで、ボクは昨晩に24時間乗り放題のカードを6.90€で購入済。これがあればリスボン市内で地下鉄・バス・路面電車・ケーブルカーと更にサン・ジュスタのエレベーターなどが乗り放題になる、とても便利なカードである。
さてやっと下の駅から4人のメンバーがケーブルカーに乗って上がってきたので、”チーム・ヒロ”の個人的なツアーが再び動きだします。
ビッカ線ケーブルカーの上にはこのように路面電車が走る道があり、こちらの路面電車はケーブルカーとは違い、頻繁に車両が走っています。
リスボン市内の道を散策 動画
カモンイス広場にて
そしてそんな路地を進んで行くと、急に開けたこちらの広場はカモンイス広場(Praça Luís de Camões)。カモンイスと言えばポルトガルの大航海時代の16世紀に活躍した詩人で、”ポルトガル史上最高の詩人”と称される「ルイス・ヴァス・デ・カモンイス(Luís Vaz de Camões)」である。
この広場は路面電車の線路に囲まれているような感じだったけど、周りには大きな建物だらけ。リスボン市内の中心部になるので、格式高いホテルとかも周辺にあるような場所。
そんな広場にはこんなお店も出ていた。ちなみに先程訪れたリベイラ市場で昼食を食べなかったので、道中どこかで昼食を食べる必要がある。ボクは昼食抜きでも構わないけど、付いて来ていた奥様の1人からは「どこがいいとかまでは言わないけど、昼食は絶対に食べましょう!」的な声が聞こえてきた。
こちらのカモンイスの像は1867年に造られたもので、その周辺を8体の彫刻像が警備しているようにも見える。
ただこの時はクリスマス用の飾りかと思われる、謎の球体オブジェが像の正面近くに置かれていたので、カモンイスの像の正面を写真に捉える事が出来なかった・・・
そんなカモンイス広場の先に見える建物はノッサ・セニョーラ・ド・ロレト教会(Igreja de Nossa Senhora do Loreto)という、イタリア商人が集まっていたというイタリア系の教会のようだ。元々あった建物は1755年のリスボン大震災で崩壊し、その後再建されて今に至るそうな。
リスボンの街は高低差があり、年配の人には歩くのがちょっとしんどい街でもあるので要所要所で手前に見えるゴルフカートのようなタクシーが停まっていた。
しかし基本歩きのボクは、そんなタクシーに乗るという選択肢はないのである!
そしてカモンイス広場から北に延びるミゼリコルディア通りを進んで、第二チェックポイントのサン・ロケ教会に向かいます。
そんな通りにある建物は、このようにイスラムチックな幾何学模様のタイルが表面に張られている、可愛らしい外観。
そして通りを歩いていると、こちらの日本食のようにも見える看板が目に付いた。後ろを付いて来る4人にこの店はどうかと聞いてみると「いいんじゃないですか!」との答えが返ってきた。
なのでこちらの丼屋さんのように見えた店を昼食会場に決めて、中に入る事にする。
Poke Houseで昼食
店内はあまり席数がなかったけど、テイクアウトがそれなりに多そうなお店。
まずは入ってすぐのカウンターで、注文し料金を先払いします。ただ残念ながらビールは売り切れてしまったとの事で、ミネラルウォーターをチョイス。
調理カウンターを覗くと、日本の丼屋さんでは絶対に丼には入れないような食材が見える・・・・。
ひょっとしてこれを乗せるのだろうか・・・?
このお店は日本食の丼屋さんのように見えたけど実はハワイアン料理のお店で、ハワイでは「ポケ(poke)」と呼ばれる生魚を切り身にしたのをご飯に載せて、他にも色々な食材を混ぜた料理だそうだ。
こちらはボクをオーダーした「MIXED SEAS(海鮮ミックス丼)」である。ハワイアン料理となっているにも関わらず、日本食のイメージを出す為かお箸が付いてきた。しかも日本語が書かれたお箸が・・・。
更にわさびピーナッツのような物が丼の上に載っているし・・・
ちなみにこのレギュラーサイズは7.90€、ミネラルウォーターは0.60€。
海鮮ミックスという名前だけあって、サーモンの切り身やマグロの切り身が入っている。
そしてこちらも魚の切り身のようにも見えるかもしれないけど、何を隠そうマンゴーである。
日本人からすると海鮮丼には絶対入れようとは思わない食材を使っていたのには、驚かされるのであった・・・
こちらは”メルハバおっちゃん”がオーダーした「スウィート・チリ」である。チリ味のナチョスがポテトチップスのようにも見える。。
なのでこの丼もどきを食べていると「ボリボリっ!」という、わさびピーナッツやナチョスを噛んでいる音が聞こえる店内であった。。
さてとりあえず全員の食欲を満たしたので、再びリスボンの街散策を開始します。次の目的地はこの通りの先に見えている教会です。
リスボンの街でも一本通りを中に入ると、このようなちょっと下った先に登り坂が続いていたりします。本当に起伏の激しいリスボンの街。
サン・ロケ教会にて
さてお次はこちらの教会で、ちょっと中に寄り道してみます。こちらは「サン・ロケ教会(Igreja de São Roque)」で15世紀に造られた建物。
こちらの教会は聖ロクス(Roque)を祀る教会で、聖人ロクスは中世に大流行したペスト(黒死病)や伝染病などに対する守護聖人だそうだ。今年のコロナ・ウイルスの大流行にも、こちらの聖人に祈りを捧げに来る人が多かったのかもしれない。
そしてこの教会には約400年前に、日本人のある一団が訪れて数日間滞在した場所でもある。それは”天正遣欧少年使節”で1582年に九州のキリシタン大名の名代として、カトリックの本場であるヨーロッパへ向かった一団である。彼らは1584年ポルトガルのリスボンにまず到着し、その後はスペイン・イタリアと訪れ、日本に帰国した。
彼らの渡欧でヨーロッパに日本人の存在が知れ渡り、活版印刷が発明されていたヨーロッパからグーテンベルク印刷機を持ち帰り、日本で最初の活版印刷を行い聖書を量産したという。こちらはローマを訪れた時にローマ教皇に接見した時の様子を描いたとされる絵。
こちらは天正遣欧少年使節の1人である「伊東マンショ」が、訪れたイタリアで描いてもらったとされる肖像画。
こちら中央にキリストの顔が入った布を広げているのは、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いていた時に汗を掻いていたキリストに布を差し出したとされるベロニカである。するとそんなキリストが汗をぬぐった布には、このようにキリストの顔の模様が浮かび上がったとされている。そんな奇跡は”ベロニカのベール”と呼ばれているのである。
天正遣欧少年使節が滞在した場所ではあるものの、あまり由縁のある物は特に無さそうだったけど、簡単な日本語のパンフレットが置かれていた。こんな観光客が多く訪れる場所ではないサン・ロケ教会で、日本語のパンフレットが置かれる事になったのは彼らのおかげかもしれない。
こちらには生々しい姿のキリスト像が横たえられている。右脇腹に傷跡があるので、十字架で磔にされて降ろされた後の状態をイメージして作ったのだろう。
天正遣欧少年使節が訪れた16世紀は今みたいに飛行機に乗って、ひとッ飛びという移動ではない。勿論船で約1年以上も掛けてインドのゴアを経由し南アフリカの喜望峰経由でヨーロッパまで行っていたのだ。それも長時間の航海と危険が隣り合わせの状態で。。
そう思うととても便利な時代になったものである。それと共に逆に便利になり過ぎて、人間の生活様式は大きく変わった。そんな便利になり過ぎた世の中の副作用で、今回のコロナ・ウイルスも世界中に瞬く間に拡がったのである。
そんな天正遣欧少年使節がこの場所を訪れた時とは全く景色が変わってしまったハズのリスボン。
さて次はこのリスボン市内にある別のケーブルカーの路線を見に行きます。
グロリア線のケーブルカー
サン・ロケ教会裏の北側には、グロリア線というケーブルカーがあります。こちらも短い路線のケーブルカー。
そしてこちらの車両も当然の如く、落書きだらけですが・・・
この車体、坂の傾斜に合わせて斜めになっているのかと思っていたけど、よく見ると水平に保たれていた。
それにしても街の名物でもあるケーブルカーが、こんな状態でいいんですかね?!
昔から車両の形はあまり変わっていないようだけど、昔は流石に車体には全然落書きが無かったみたい。
そんなケーブルカーの路線の脇の壁にも色んな絵や落書きが書かれている。こちらは綺麗に描かれて、照明も取り付けられているので誰かがお金を出して設置した広告みたいなようにも見える。
アートか、落書きかは紙一重。でも観光地の街であれば、このように汚い落書きではなく、アート的な描写がされている壁を増やして欲しいと思う。
街に落書きをしたのはどういう人物か分からないけど、だぶん色んな不満や不安を抱いた若者という可能性が考えられる。そんな人物に対して、このようなアート的な絵を街中に増やすとこれらを見て自分は落書きではなく、芸術的な絵を描かないといけないのかと考えさせる効果があるように思う。
よく見ると木にまで落書きされていた。。
今後リスボンの街から汚い落書きが減って、アート的な絵が増える事を祈るばかりである。
こんな旅はまた次回に続きます!
↓↓↓↓ポルトガル旅行記:初回↓↓
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