サン・ジュスタのエレベーターの展望台から、リスボン市内の綺麗な景色を眺める-ポルトガル旅行記57

ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

リスボン市内で一番の景色が見れる場所

リスボンの街は地図では分からなかったけども、凄く起伏に富んだ街である。それだけキツイ坂がある街だったので、何本もケーブルカーが走っていた訳である。

 

 

リスボン市内にて

こちらはリスボンの街中にある3本のケーブルカーの内、グロリア線と呼ばれる路線。ただしケーブルカーの写真を撮る人達の一番人気な路線は、先程訪れたビッカ線でこのグロリア線はそこまで人気ではないようだ。

 

グロリア路線の景色 動画

 

ケーブルカーで下に降りるとまた上がって来ないといけないので、下に降りずに次のチェックポイントに向かう。その途中に広場に置かれていた銅像を見つけて、そんな像と握手する”メルハバおっちゃん”。

 

こちらの像は宝くじを販売するオジサンらしく、この辺りに宝くじ屋さんがあるそうです。宝くじで一攫千金を夢見る人々がこの像の持っている宝くじと手の部分に触るようで、その箇所だけ錆びが取れて輝いていました。

 

日本では考えられないけど、こんな路地にも平然とテラス席が設置されている。ただしヨーロッパではテラス席の方が店内で食べるよりも人気があり、逆にテラス席が無いとお客さんが来ない程だという。

 

ヨーロッパでは首都の街中にや旧市街のど真ん中にも、セクシャルなグッズが置かれているお店が平然と営業している。日本ではコソコソ売っている印象があるが、ヨーロッパでは堂々と販売しているような印象を受けた。

 

こんなあまり広くない道にも路面電車が通りそうな線路があるにも関わらず、路駐されている車の列が見える。この辺りには駐車場がなく、この辺りも違法駐車ではなく、ちゃんと地面に白線が引かれていて車を停める場所として決められているのだ。

 

ヨーロッパでは日本食が最近とても人気があるけど、中華料理の店は世界中どこでも存在する。それだけ多くの中国系移民が今までに世界中に散らばっていったという証拠でもある。

 

この「バイロ・アルト地区(Bairro Alto)」は、今では若者が多く集まるナイトライフが盛んな地域だそうだ。昔は貧困層が多く住んでいたらしいが1990年代に再開発を行った結果、バーやナイトクラブなどが沢山出来て、それに引き寄せられるかのようにナイトライフを満喫したい若者が多く住むようになったという。

 

第三チェックポイントであるサン・ジュスタのエレベーターを求めて歩くも、近くにあった看板にはそのエレベーターの案内は無かった。

 

まあこの辺りを歩いていると、その内見つける事が出来るだろうと思い、そのまま歩みを止める事無く歩く。

 

この辺りはあまり道が広くなかったけど、ギッシリとテラス席が並べられていた。そして沢山レストランなども並んでいる。

 

 

カルモ教会付近にて

その先を進んで行くと、また小さな広場に出てきた。もうそろそろだいぶサン・ジュスタのエレベーターの近づいてきたハズなのでこの周辺のはず。

 

するとこの広場で”自称後期高齢者オジサン”軍団と出会った。彼らも同じサン・ジュスタのエレベーターの展望台に行こうとしていたけど、ちょっとここで休憩していたとの事。

 

そしてこの広場に面していた、こちらの建物はカルモ教会(Convento do Carmo)の跡地。

 

カルモ教会は14世紀末に造られた教会で、当時のリスボンでは一番大きい教会だったが1755年のリスボン大震災で建物は大きなダメージを受けてしまった。リスボン市内の建物は大震災後に殆ど再建されたが、このカルモ教会だけは当時の悲劇を忘れないようにそのまま遺構として保存されているのである。

 

そんなカルモ教会の横には軍事博物館もあるので、このように軍人さんの恰好をしたオジサン達が警備とまではいかないけど、この入口周辺に立っていた。海外では警官や兵士の写真撮影はNGな場合が多いけど、こちらのオジサンは写真撮影にウエルカムな様子だった。

 

「あ~~上着が邪魔だわ~。ちょっと待って、髪の毛を整えてと・・・」という感じの奥様。こちらの奥様は海外に一時住んでいた事があり、一応英語が喋れた。その英語で「エレベーターはドコ??」って聞いてたけど、このオジサンが教えてくれたのはさっき見たケーブルカーだった。こちらの人達は”カルモのリフト”という愛称でサン・ジュスタのエレベーターを呼んでいたようだ。

 

こちらではアルコールも売っているみたいだけど、街歩き時はあまりトイレに行けないので、アルコールを飲みたい気持ちは堪える事とする。

 

さっきオジサンの立っていた建物の右奥に向かうと、サン・ジュスタのエレベーターに向かう道があった。そんな途中にはカルモ教会の遺構がアーチのように待ち受けていた。

 

カルモ教会の横で演奏する曲を聞きながら 動画

 

カルモ教会横でトランペットを演奏していたので、とてもいい雰囲気を出している場所。日本に居ると大地震の影響を一番受けているのは日本だと思うけど、実際には世界中色んな場所で大きな地震が起こっていて、多くの悲劇が起こっていたのである。

 

この今立っているバイロ・アルト地区は「高台」という意味の名前で、前に見える屋根が並ぶ場所は先程訪れたバイシャ地区で「低い場所」という名前が付けられている。確かにここから数十メートルしか離れていない建物だけど、これだけ高低差があるのだ。

 

この辺りは1755年のリスボン大震災に崩壊して、その後ポンバル侯爵が免震構造を取り入れて、かつ格子状の通りで建物が密集しない都市計画を立てて、造った街である。

 

バイロ・アルト地区から眺める景色 動画

 

 

サン・ジュスタのエレベーターにて

バイロ・アルト地区からサン・ジュスタのエレベーターの乗り場に向かう途中にはカフェのテラス席がありますが、別にカフェを利用しないといけない訳ではなく、普通に通れます。

 

【サンタ・ジュスタのリフト】(通称:カルモのリフト)
Elevador de Santa Justa(Elevador do Carmo)

 

住所:R. do Ouro, 1150-060 Lisboa, ポルトガル

【エレベーターの営業時間】※2020年1月時点
夏場:4月15日~10月31日  7時30分~23時00分
冬場:11月1日~4月14日    7時30分~21時00分

【展望台の営業時間】※2020年1月時点
夏場:4月15日~10月31日  9時00分~23時00分
冬場:11月1日~4月14日    9時00分~21時00分

 

 

昔のサン・ジュスタのエレベーターの写真

1902年に運行が開始されたサン・ジュスタのエレベーター。当初は蒸気機関で動いていたが、1907年に電力稼働に切り替えられたそうな。

 

造られて実に100年以上の歴史を持つエレベーターに足を踏み入れていきます。通路の手すりには転落防止柵が張り巡らされています。下は通路で人が歩いているので、物を落とすだけでも惨事に繋がる可能性がある。

 

右手には通りがあり、この通りの中間辺りに無印良品の店舗がある。ちょうどこのエレベーターの真下辺りである。

 

ここからでもロシオ広場のペドロ4世像が見える。さすがリスボンで一番人気の待ち合わせスポットだけある。ちなみに大阪での一番メジャーな待ち合わせスポットは阪急梅田駅にあるビッグマン広場である。

 

 

エレベーターの奥に進むと右側にエレベーター上にある展望台の入口がある。ここはエレベーターとは別料金で、公共交通乗り放題カード「Viva viagem card」も使えない。料金は1.50€で、階段は一方通行なのでこのエレベーター右側にある螺旋階段から登って行く。

 

 

サン・ジュスタのエレベーター上の展望台にて

エレベーターフロアから2階分に相当する高さを登ると展望台があり、目前にはリスボンの中心部であるバイシャ地区が見下ろせるし、奥にはテージョ川も大きく見える。

 

約250年前に大地震があり、更に津波に襲われた街とは思えない位の街並み。地球上に住んでいると色んな自然災害があるので、そこに住む人類はそれらを受け入れて住んでいくしかない。

リスボンの街もその大震災時には5~6万人が亡くなったとされているが、その大震災の教訓を生かして建物は免震構造を取り入れ、格子状の幅が広い通りを採用した都市計画を練った。

 

奥の高台の上に緑が沢山見えている場所は、第四チェックポイントのサン・ジョルジェ城である。ここから見る分には近く見えるので勿論我々は歩きで向かうのだが、現地に着くと同じツアー参加者達と出会ったが彼らはバスや近くに数台あるエレベーターなどを活用し、歩きオンリーで訪れている人は居なかった。。

 

1755年のリスボン大震災時にパニくって慌てた人間は、いつの時代でも現代でもそうだけど生活必需品などの略奪行為が街中で頻繁に起こっていた。そんな略奪を止めさせる為に当時宰相(総理大臣)だったポンバル侯爵(セバスティアン・デ・カルヴァーリョ:Sebastião José de Carvalho e Melo)は盗みを働いた罪人を丘の上で公開処刑にして、略奪行為を防止させたのである。

 

それと共に需要が供給よりも急激に上がる事により、お店で売っている物が高騰するのを抑制し、かつ買い占めを禁止した。今年のコロナ禍で痛感したけど、人間の行動は約250年経っても全然変わっていないのが分かる。

 

大震災から3日後にはポンバル侯爵が【①物資の買占め禁止 ②治安統制 ③食料の安定供給】などを命令し、大震災後の不安定な時期の大衆を統制したのである。

 

今回のコロナ禍でよく分かったけど、有事の際にはまず民衆をなるべく落ち着かせないといけない。学校の授業のように生徒が騒いでいる環境では、授業もはかどらないのである。

 

それにしてもこの展望台からは真っ青なテージョ川が見えて、とても景色がいい。あの場所から多くの大航海時代の英雄たちが旅立って行った場所なので、そんな景色もより一層趣があるように感じる。

 

展望台からのリスボン市内の眺め 動画

 

 

こちらは展望台まで昇り降りする螺旋階段。展望台には2箇所の階段が設置されているけど、混雑する場所なので登り専用と下り専用の一方通行である。

 

こちらが先程横を通ったカルモ教会。リスボンで唯一と言っていい、1755年のリスボン大震災での被害を後世まで残す遺構。石造りの外壁はあまり崩れていないけど、大地震によって教会内にあったロウソクなどが倒れて、それが引火して火事になったので屋根が焼け落ちて無くなっているのがここからだと分かる。

 

今では待ち合わせスポットにもなっているロシオ広場も、昔は公開処刑などが行われていた場所。日本でも晒し首などが行われていたけど、民衆の行動を規制しようと思ったらそれ位強硬な姿勢を見せないと押さえつけれなかったのだろう。

 

展望台から眼下の街を見下ろす 動画

 

こちらでは”自称後期高齢者オジサン”グループがサン・ジョルジェ城を眺めている。彼らもボクらと同じで次の目的地はサン・ジョルジェ城らしい。

 

このリスボンの街は”7つの丘がある街”という別名もあって街を眺める展望台が何箇所かあるけど、個人的にはここの展望台からの景色が一番良かったと思う。今日は特に快晴で、奥には綺麗なブルー色のテージョ川が広がっている最高の景色に、しばし浸る”自称後期高齢者オジサン”グループ。

 

そんな最高の景色をバックに”自称後期高齢者オジサン”に記念写真を撮って頂く。

年齢の割にスマホの写真撮影に慣れていたので、ボクに比べてかなり年上の人生の大先輩にも関わらず、何回も写真撮影をしてもらいました!

 

ペルーを訪れた際に購入したお気に入りの帽子。エジプトで馬車に乗った際に、運転するオジサンに帽子を取られかけた事もあったっけ。とりあえずここで頭の中を空っぽにして、この素晴らしい景色を何も考えずにただ単に眺める。

こんな時間を過ごせるのは、とても幸せな事である!

 

次は敢えて韓国系観光客と見られる人を挟んで、写真を撮ってもらう。

こちらのお姉さん、写真撮影中はちょっと険しい顔をしていましたね。。

 

リスボン大震災時には建物の倒壊よりも、建物の火災の方が被害が激しかったという。しかも建物が密集していたので火がどんどんと隣の建物に移っていき、5日程リスボンの街は燃え続けたそうだ。

その対策としてポンバル侯爵の再建した建物ではその教訓を活かして、建物間に防火壁を配備して火が建物間を乗り移るのを防ぐ建築スタイルにしたという。

悲劇が起きた過去は変えれないけど、未来は変えれるのです!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

↓↓↓↓ポルトガル旅行記:初回↓↓

イベリア航空経由でまずはスペインへ-ポルトガル旅行記ブログ-1
阪急交通社トラピックスのツアーで訪れた1月のポルトガル。まずは成田空港からイベリア航空でスペインに向かいます。