ポルトガル貴族達の紋章を描いた”紋章の間”があるシントラ王宮にて-ポルトガル旅行記42

ポルトガル旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

ポルトガル王は天井画がお好き

さてリスボンから近い場所にあるシントラの街で、歴代のポルトガル国王達が居城にしてきた王宮の見学は続きます。

 

シントラ王宮の見学

階段を登って上に上がって行きます。

 

登ってすぐの部屋には、そこまで説明する程に重要なものではないようなので、スルー・・・。

 

それぞれに歴史的な一場面を描いた絵画なんだろうけども。。

 

こちらの物入れは、宮殿のようなデザインになっていて中々可愛くてオシャレである。

 

日本人からすると、絨毯を壁に飾るという思考自体がないのでタペストリーと聞いてもピンと来ない。トルコの絨毯屋さんに行った時に販売員から「柄が入っててタペストリーとして使えるので、壁掛け用としてドウゾ買って下さい!」って言われたのを今でも覚えている。

 

確かに絨毯には違いはないけど、このように細かい装飾で絵が描かれている内容を見ると、タペストリーとしての価値はあると思う。

 

 

”紋章の間”(Sala dos Brasões)にて

次の部屋は入口からマヌエル様式になっている。マヌエル様式の特徴は、このようにロープの紐のように捻じれた柱のデザインがあったりして、とても分かり易い。

 

そんなマヌエル様式の入口を入って見えたのが、この”紋章の間”(Sala dos Brasões)。ポルトガル国王マヌエル1世がポルトガルの貴族の紋章72個や王族の紋章を天井に描かせた部屋。そして壁にもアズレージョが見える、この王宮で一番重要とされている部屋だそうだ。

 

日本でいう家紋のように、こちらの貴族でもそれぞれに紋章が作られていたようだ。ただこの部屋だけは、今までの部屋と比べて、豪華絢爛というような、マヌエル1世が力を入れて作成した意気込みを感じれるような気がする。

 

ドーム状の天井頂点に君臨するのは、やっぱりポルトガル王の紋章。

 

壁には一面大きなアズレージョのタイルで敷き詰められている。こちらでは主に狩猟の様子を描かれていた。

 

こちら側の窓からは、市街地と反対なので緑が溢れた景色を望める。

 

これが日本人だったら「相談しよう~そうしよう~!」”はないちもんめ(花一匁)”を歌っていた景色だったかもしれない。。

 

荘厳な”紋章の間”を眺める 動画

 

どこの国も昔から君主制政治をしてきたけど、必ずしも優秀な人間に王位を引き継げないという弱点があるので、大概の国では君主制は廃止されていく運命にある。いくら王の子供であっても後天的な能力などは引き継げない。このポルトガルでも20世紀初頭に君主制は廃止になり、共和制に移行するのである。

 

元々ヨーロッパでは戦いの際に身に付ける甲冑で、顔をすっぽりと被る兜などを着用していたので個人を特定できなかった為に、その識別用に紋章が作り出されたという。この壁に描かれている紋章を見れば分かるけど、その紋章も盾に刻まれていたので盾の形の紋章となっている。

 

ただ壁のアズレージョに描かれている景色は、紋章とは違って戦場の様子ではなく、日常の様子だったので何だかちょっと迫力に欠けているような印象。。

 

鹿狩りの様子を描いたアズレージョだけど、ポルトのサン・ベント駅構内にあった戦場で戦う景色の方がこの部屋に似合うと思うんだけども。。

 

 

部屋の中にはこのように大きな机が置かれている。一般家庭にもしこのような机があったら「捨てるに捨てれない机」って感じかも?!

 

天井中に描かれている紋章で、よ~~く見ると中央左の1箇所だけ紋章が飾られていない所が見える。この部分は損傷して剥がれたのではなく、王家に謀略を計ろうとしていた事が発覚し取り除かれたからである。

 

日本の戦国時代には全国の戦国武将の色んな家紋がバラエティー性もあり、見てるだけでも面白いけど、ポルトガルの家紋は皆さん真面目な紋章ばかりで遊び心を感じされてくれるものは見当たらない。

 

先程も遭遇した、別の阪急交通社の日本人団体がこの部屋に入った時に居たので、一時日本人の人口密度が一気に上がった”紋章の間”。話はちょっと変わるけど、海外で別の日本人ツアー団体と出会った時って、大概の人達はガードを上げて何故か警戒する。同じ日本人でも知らない人だから警戒するのだろうか?

折角海外で会えた日本人なんだから、もっとフレンドリーに接すればいいのにといつも思うのであるが。

 

このように天井ばかり見上げてしまう部屋なので、先程の大きな机は上を見て動くとぶつかる可能性がある。かといって他の部屋に移そうにも、これだけ大きな机を置ける場所がないからわざわざここに置かれているのかと勝手に推測。

 

こちらの部屋を造らせたのは、1500年前後にポルトガル国王に在位していたマヌエル1世(Manuel Ⅰ)。それまでイスラム圏が支配していたインド航路を開拓し、香辛料などで莫大な利益を出して絶対王政制度を確立した、ポルトガルの歴史の中でも重要な国王である。またそれだけではなく芸術にも長けた人物で、多くの芸術家をパトロンとして支援していた。

 

そんな彼の芸術などへの投資が、のちの”マヌエル様式”と呼ばれる一大建築様式を造り上げたのである。ヨーロッパの建築様式ではゴシック様式やロマネスク様式やルネッサンス様式などがあるけど、人名が付けられた建築様式は他には無いと思う。

 

そんなマヌエル1世が造り上げたマヌエル様式の代表傑作は、ジェロニモス修道院ベレンの塔、そしてトマールのキリスト教修道院などで、それぞれ世界遺産に登録されているのである。

ただしアズレージョが普及し出したのはマヌエル1世の時代よりもだいぶ後なので、この部屋のアズレージョは別の王様が造らせたのだろう。だから何か”紋章の間”と呼ばれる部屋にしては、ちょっと違和感のある日常の狩りの様子が描かれたタイルなんだろう・・・とこれまた勝手な推測。。

 

アフォンソ6世の寝室にて

こちらの部屋は”アフォンソ6世の寝室”と呼ばれるが、別名「刑務所」とも呼ばれている。1656年から王位に就いたアフォンソ6世だが幼い頃より小児麻痺で左半身がマヒ状態にあったそうだ。それでも一応王位に就いてフランス貴族の娘と結婚するが、翌年彼の”不能”状態を理由に婚姻の無効を申し立てられて認められる。。

そしてその女性はアフォンソ6世の弟ペドロ2世と結婚し直し、ペドロ2世はその年に兄であるアフォンソ6世から統治権を奪い事実上の国王になるのである。統治権を奪われた兄アフォンソ6世は大西洋上のポルトガルから離れたアゾレス諸島へ7年間島流しになり、1675年にポルトガル本土にやっと帰って来れたが次はこの監禁部屋で約8年間過ごした後に死去するのであった。

ここが監禁部屋であった証拠に、この部屋の窓枠にだけ鉄格子が嵌められているのが見える。それと部屋に立ち入りは出来ないものの、床に敷かれている絨毯で所々擦り切れているのが見える。これは幽閉されていたアフォンソ6世がよく動き回った跡だそうだ。。

 

 

チャイニーズ・ルームにて

そんな幽霊が出てきそうな部屋の次は、”チャイニーズ・ルーム”とアジアの部屋なので、ちょっと見慣れたものが見えてきた。

 

この部屋のエリアはこの王宮の中でも最も古い時代に造られた場所にあたるそうだ。ちなみにこちらの塔は18世紀後半から19世紀前半に掛けて、当時の中国の清から友好の証として寄贈されたもの。

 

去年夏に台北の故宮博物館を訪れたけど、その時にこのような象牙を考えられない位に細かく彫り上げた芸術品を見て感激したのを思い出す。

 

 

清の時代の芸術品が、人類の工芸品の中で最高の芸術品だったと個人的に思っている。故宮博物館で見た”多層象牙球”という彫り物は親子孫と3代100年という、とても気の長くなる歳月を掛けて一子相伝で完成させた至高の芸術品が、その中でも一番だと思う。

 

”中国4000年の歴史”って言うけど、手先の器用さと執念深さには脱帽である。ただ今の中国にはそういった芸術性が全然受け継がれていないように思うけども・・・。

 

近くでこの塔を見てみると、ご覧のようにとても細かい彫刻で穴が空けられているのが分かる。これが十三重の塔になっているのだから、それを作った苦労も途轍もない物であったのだろう。。

 

今では科学技術が進み、3Dプリンターで立体物が簡単に造れる時代になっているけど、人間が造り出したものには作り手の執念というか、気持ちが籠められている。だからこの芸術品に勝るものは、今後の人類には生み出せないだろう。

 

”パラティーナ礼拝堂”にて

次の間は”パラティーナ礼拝堂”(Palatine Chapel)で、ディニス王時代に造られた部屋。

 

案内パネルの上段はポルトガル語、下段は英語が表示されています。

 

奥に十字架が飾られていてキリスト教徒の礼拝堂のようだけど、なんかイスラムチックな装飾も見えたりで違和感を感じる部屋。

 

タイル張りの床と木製の造りは”ムデハル様式”と呼ばれるもので、元々はイベリア半島に勢力を広げていたイスラム文化が残留し、それがキリスト教文化と結合して融合した様式とか。

 

道理で幾何学模様がキリスト教の礼拝堂に用いられていた訳だ。何故敵対するイスラム文化を取り入れたかというと、安価な材料に精巧な装飾をする技術がイスラム文化にあったからである。

 

壁にはオリーブの枝を咥えた、キリスト教では平和の象徴となっている鳩が沢山描かれているフレスコ画もある。

 

オリーブ 鳩 シントラ 王宮

キリスト教でオリーブの枝を咥えた鳩が平和のシンボルとなっているのは旧約聖書にある「ノアの方舟」が源になっている。誰でもノアの方舟の名前は聞いた事があると思うけど、地球上に大洪水が起こり世界中の生物は絶滅するが選ばれた一対の動物たちはノアが造った方舟に乗り、命が助かるという話。

洪水が収まった世界が無事かを確認する為にノアは鳩を飛ばした。1回目はそのまま帰ってきて、2回目に飛ばせるとこのようにオリーブの枝を咥えて帰ってきた。そして更に3回目に飛ばすとノアの元に鳩が帰ってくる事は無かったという。つまり鳩は安住できる陸地を見つけたので戻って来なくて、危機は去ったと解釈するのである。

 

 

そんな部屋を足早に観光していきます。次は階段を降りていくので、もうそろそろ王宮の観光も終わりかな?!

 

 

”アラブの間”にて

そしてお次は”アラブの間”と呼ばれる、アラブチックな感じの造りの部屋。ジョアン1世の頃には彼の寝室として使われていて、上の階でさっき見てきた”人魚の間”と螺旋階段で繋がっていたという。

 

部屋の真ん中にも関わらず、水がチョロチョロ~~と流れる像の噴水があるのが面白い。如何にもアラブっぽい雰囲気を感じる噴水。

 

部屋の真ん中で水が流れる噴水 動画

 

この部屋はマヌエル1世時代に改装されて、この内装になっているようでジョアン1世時代のままではないようだ。

 

幾何学模様を利用して、3Dのように立体に柄を浮き上がらせようとしていたと思われる壁。

 

そんな部屋で寝ていたジョアン1世のベッドかな?

 

・・・ではなくて17世紀頃のベッドみたい。。

 

外国語で書いてあるので、イマイチ内容が把握できていません・・・orz

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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