ポーランド旅行記:3日目
阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–
ポーランド王国発祥の地
ポーランドで迎えた3日目の朝。ポズナンのNOVOTELホテルで、ホテル内の朝食ビュッフェ会場で朝ご飯のお時間です。
朝食会場が開いた時間早々に行ったので、レストランのスタッフさんが近くのテーブルで暇そうにくつろいでいたからポーランド語が全然出来ないままスタッフさんに喋りかけました。
何となくボクの言わんとした事が通じたような、通じなかったようなで、最低限その方達を笑顔にする事は出来ましたが。
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朝食スタート!
さて一番乗りで朝食タイム。でもせっかく一番乗りしたからといってすぐに料理にガッツく訳ではなく、恒例の写真タイム。
ボクにとっては食べるよりもまずは写真を撮る事の方が大事なのです!
泊るホテルによっても全然違うけど、朝食会場がオープンした後も出来立ての料理が後から置かれたりとかあるけど、ここはちゃんと出来立ての料理が朝イチから揃っていたので高評価!
朝から沢山の種類があるビュッフェ(バイキング)だけど、こういうのって残った料理はどうしているんだろうか?! ホテルの従業員で欲しい人が賄いやお持ち帰りにしたりしているのかな?
こういったビュッフェで調理人の腕が試される箇所は、料理のディスプレイの仕方。単に調理したものをズラリと並べるのではなく、それの置き方も大事なのである。遊び心のあるシェフだと、料理には関係ない物をディスプレイとして飾っていたりとそれらを観察するというのも、ビュッフェ時に楽しめる要素なのです。
パンでも何種類も置かれていたりする。食べるのが好きな人にはいいのかもしれないけど、ボクのようにあまり食に興味が無いものからすると、どのパンを取っていいものかと迷う。。
パンもそのままではなく、ジャムやマーガリンを付けて食べる人が多いように思う。けど、ボクの場合はそんな事は面倒くさいから初めから味が付いているパンを選ぶのである。
ボクは基本ビュッフェでは甘いデザート類は一切食べない。でも平然と朝からまずケーキだらけのお皿を持ってくる女性がいたりで、ビュッフェでは色々と驚かされる事が多い。ただ女性からすると別に変な事ではなく、普通な事みたいだけど。。
という訳で一通り料理の写真を撮り終えた所で、朝食を頂きます。こういう感じで料理を取ってきて食べていると、よく「まだお代わりするんでしょ?」とか「アナタ、小食ね!」とか言われる。
でもボクの場合は朝から食べ過ぎると、気分が悪くなりやすいのであまり食べないように意識している。朝は腹6分といった感じだろうか。
この会場では珍しくワッフルを造る用のプレートも用意されていたけど、誰もワッフルを焼いている姿は見えなかった。でもこれは子供が居たら喜びそうだ。あまりワッフルを焼くプレートを見る事がないので、これは面白い取り組みだと思う。
このテーブルに座っていたら最初に端に座った奥さんがケータイなどを置いて、都合3人分の席を取っていた。けどその奥さんが座って欲しいと思っていた人が違うテーブルに座ったので、それを追うようにテーブルを移動していった。せっかく他の人が座ろうとしたけど「ここの席は取ってるから」と言ってキープしていたのに。。
そしてその奥さんが去った席に男性陣最年長79歳のお父さんが代わりに座る。朝から3皿&ヨーグルトを平らげる姿を見ると、しっかり食べる事が健康に通ずると実感した。このお父さんは見た目も若く79歳に見えなかったけど、本人曰く「山登りが趣味で、その貯金が大きいんです!」と謙遜気味に言っていた。
将来の事を考えても、健康の為にハイキングを始めるのもいいかもしれない!
ポズナン市街地に向かって移動
部屋から外を見ると、残念ながらちょっと雨模様の感じ。ただ土砂降りという感じでもなく、観光する時だけ止んでくれたらいいかな。
ポズナンの市街地を車窓から眺める 動画
さてバスに乗り込み、ポズナン市内の観光がスタートします。窓には雨の水滴がポツリポツリと付くのを眺めながら、バスは淡々と進んで行きます。
ここポズナンはポーランドの中でも古い都市で、10世紀頃にはこのポズナンがポーランド王国の首都だった。それだけ歴史が古い都市である。その後の歴史は色々とあり、一旦はプロイセン王国になるが第一次世界大戦後に再びポーランド領になるものの、第二次世界大戦では強国ナチス・ドイツとソ連軍がぶつかる戦地になりポズナンの都市は壊滅的なダメージを受けるのである。
ポズナンの市街地を車窓から眺める 動画2
第二次世界大戦中は戦地となった為にポズナンの旧市街地は約90%が破壊されてしまったという。だけど今ではその跡が分からない位に復興して、建物だらけ。
第二次世界大戦から、約70年以上経った現代ではその事も風化してしまいそうな位に跡影も無い。戦争の爪痕も時代が経つによって、段々と消えていくものなのかもしれない。
ポズナンの大聖堂を見学
バスで約30分走った場所で下車すると大きな大聖堂が目に入ってきた。ちなみにここで現地ガイドさんと合流。ヨーロッパの街ではそれぞれの街に現地ガイドさんが居て、街毎に変わるので名前を覚えてられません・・。
願ったように雨が止んでくれたポズナンの街。遠くには分厚い雲が晴れだしているのが見える。
この辺りも例に及ばず第二次世界大戦の影響を受けて、今見える建築物は再建されたものだそうだ。
進行方向の正面に見えてきたのは「聖ペテロ教会と聖パウロ教会」とも呼ばれるポズナン大聖堂。10世紀に建てられたポーランドで最古の大聖堂であるが、現代までに5回程再建されているようだ。色んな争いの被害者だったり、火災の影響だったりがその要因。
そんな大聖堂の傍らにはポーランドの英雄の像が置かれている。ポーランドでも歴史的な宗教の聖地なので、ランタンのような物が沢山置かれているのが見える。
こちらはカトリック系の聖母マリア教会。ちなみにこの教会の下には、10世紀頃ポーランド王国の首都となった時代に当時の統治者が住んでいた宮殿跡が出てきたそうです。だけど、この教会を壊してまで発掘作業が出来ないので残念ながら歴史的な遺構の調査はSTOP状態なんだとか。
ゴシック建築の大聖堂となった「聖ペテロ教会と聖パウロ教会」に近づく。なお今回建築家のオジサンがツアーに参加していて、その人は「ポーランドの歴史的な建造物の写真を撮るのが一番の目的!」と言っていて見学の時もボクと同じように辺りをウロチョロ動いて写真撮影に没頭していたな。。
そんな破壊と再建を繰り返した”ポーランドの象徴”とも言える大聖堂の内部は見学せずに、近くにある教会の前にやってきました。
ボクもその建築家のオジサンのように、あちこちをうろついて色々と自分勝手に見学するタイプ。なので、周辺を色々と見回っていると、既にこちらで説明が始まっていました。なにやらこちらのホビットの映画に出てきそうな現地ガイドのお姉さんがお札を持っている姿が見えます。
近くに寄って見てみるとポーランドの紙幣である、10ズローチを手に持っていました。途中から説明を聞き始めたのですが、この場所にはあった宮殿に住んでいたのが10世紀頃に出来たポーランド王国の初代国王である「ミェシュコ1世(Mieszko I)」で10ズローチのお札の人物だったようです。
ポーランド王国の創始者といわれる「ミェシュコ1世(Mieszko I)」。巧みな戦略家だったようで、ポーランド王国を創建したものの、神聖ローマ帝国の侵略を防ぐ為にローマ法王に莫大な貢物を渡して援助を受けて更にローマ・カトリックにまで改宗した。しかしそのままでは神聖ローマ帝国の影響下に入ってしまうので、それを避ける為にバイエルン系聖職者からの洗礼を受ける事により上手く回避したそうだ。
こちらが10世紀にこのポーランドを統治していた「ミェシュコ1世」が、居城としていた宮殿のイメージ図である。
この聖母マリア教会の場所にこのような遺構があったと発見されたのはまだ近年の事。
この歴史的な遺構跡を発掘したいんだけども、この教会を建て壊す訳にはいかないので残念ながら発掘は進んでいないそうだ。このすぐ目の前に大昔はこのように王様の宮殿があったようだ。
このような昔の宮殿のイメージ図が添えられていた。何でもかんでも発掘して、昔のものをひっくり返すのもいいかもしれないけど、たまにはそのままにしておくのもいいのかもしれない。
キリスト教徒ではない人間からすると「そんな歴史的な場所だったらどこにでもあるような教会を壊して発掘すればいいだろう」と思っちゃうけど、キリスト教徒からしたらそんな訳にはいかないのだろう。
そんな大聖堂や教会のある神聖な場所にも、こちらの看板にあるようにフリーWi-Fiがあるようだ。人の集まる場所にはフリーWi-Fiがあるのは、日本とはちょっと違うヨーロッパのいい所である。
何度も再建されたポズナンの大聖堂。その再建された時代によって建築様式が異なっていたようだが、ポーランドチックなファザードになっているように見える。昨日見たコペルニクスの生家のファザードと同じように三角になっている。
ポズナン大聖堂の様子 動画
大聖堂辺りをちょこまか動き回っていると、こちらのベンチの横の壁には何やら彫り物があった。
かつてこの地でポーランド公国を統治した、今までの王様達をイメージしてこの壁を彫ったのだろうか?!
時期的にオフシーズンに差し掛かっていたので、周辺には他の観光客の姿が全然見えなかった。人だらけの人気観光地もいいけど、このように観光地を独占してゆっくりと見物できるのは有難い。
この大聖堂の中には残念ながら入る事が出来なかった。この大聖堂内にはミェシュコ1世のお墓もあるそうな。
辺りはすっかり落ち葉が道中に散っていて、既に秋も終盤の様子を匂わせる景色であった。
ポーランドの国というのは破壊と再建を繰り返した印象もある国。ある時代にはポーランドという国も消滅するにまで至るが、そこはポーランド人の魂の強さとでもいうのか、ポーランドは現在に渡っても存続している。
大聖堂のこの壁の部分だけはこのように古そうな部分が見える。レンガ造りの前、昔はこのように石を積んで壁を造っていたのだろう。昔の遺構が垣間見れる部分であった。
剣と2対の鍵が描かれている、正面広場の地面。
第二次世界大戦でも壊滅的に破壊されたポーランドであるが、その爪痕も殆ど見えないようにこれだけ再建されたのはひとえに言って”ポーランド人の心の強さ”なのだろう。
ポズナン大聖堂の周辺の建物などは、特に変わったものは見当たらない。
さて大聖堂の内部には入らないので、この辺で大聖堂周辺の見学は終了です。ではこれから旧市街地に移動します。
その様子はまた次回に続きます!
↓↓↓↓ポーランド旅行記:初回↓↓
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