ショパンの生家で置かれているピアノを弾く?!編-ポーランド旅行記-6

ポーランド旅行記:2日目

阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–

 

ショパン生家内を見学

ここはポーランドの首都ワルシャワから西に車で約1時間走った、50km程離れた場所にあるジェラゾヴァ・ヴォラという街。そこで生まれたショパンの生家の中に今来ています。ショパンは1810年に生まれたという事ですが、色んな諸説がありそれが正確な訳でも無さそうな。

 

この生家の中にはこのようにピアノが置かれていて「触ってはダメ!」と言われていたが、てっきりショパンと関係するピアノかと思っていたが全然関係ないピアノだそうだ。。

 

ショパンが生まれた頃の内装とは全く変わってしまっている、この建物。ここで他の観光客とあまり合わなかったのもオフシーズンも影響したかもしれないけど、ここにショパンの思い出が全然残っていないから来る価値が無いと思われているのだろうか。

 

この家の中に置かれているテーブルや椅子、食器などは全てショパンとは関係なく尊敬すべきポーランド人をイメージしてここに持って来られたもの。

 

ここで生まれたショパンであるが1歳になる前にここから引っ越しして、ワルシャワに移っていった。なのでこの場所に縁もゆかりもない物が置かれていても、それを加味すると仕方のない事かもしれない。

 

この階段、さっきは手前にロープが張られていて登れないようになっていたけど、今はロープがなくて上に登れた。試しに上を覗いてみたけど特に何も無さそうだった。。

 

こちらの壁に掛けられている絵画、左から3つ目まではショパンの肖像画。右はご両親など。ショパンが1歳になる前にここを引っ越してしまったけど、元々この家を所有していたスカルベク伯爵とショパンの両親はその後も交流が続き、休暇の時とかはショパンを連れてここに遊びに来ていた事もあったようだ。

 

ここにもピアノがありますが、これもショパンとは関係のないピアノ・・・・。

 

ショパン生家内の様子 動画

 

左の肖像画が最も若い頃に描かれたもので、ショパンが若く見える。よくポーランド国内で見かける肖像画は一番右の物。

 

ショパンは周りの手助けがあったといえ、若干7歳にして作曲をしたという。

ボクが7歳の頃はというと・・・・普通に遊んでいただけです。。

ここでは現地ガイドさんが付かずに添乗員さんが代わりに説明してくれました。今回のこの男性添乗員さん、色んな情報が頭の中に詰め込まれているようで移動の最中も何も見ずに説明してくれたりと結構記憶力が良さそうな人でした。

 

右から2人目がショパンの父親ミコワイ・ショパンさん。この付近に暮らしていたスカルベク伯爵家の家庭教師として呼ばれて、この別館に居候していたようだ。ちなみにその左が奥さんのユスティナ・ショパンさん。右端と左端はショパンの姉と妹。そしてこの部屋にショパン一家が暮らしていたと推測されている。

 

真ん中に置かれている手紙は1826年に父親の誕生日の時に贈られたショパンらファミリーの祝いの言葉が書かれたもの。

 

こんなショパン一家が暮らしていたという部屋にピアノが置かれていたら、必然と「ショパンが弾いていたピアノ?!」と思ってしまう。。

けど全然違う、関係のないピアノ。

 

とあるオジサンが鍵盤部分の蓋を持ち上げようとしたら、係員が寄って来て「ノー!、ノー!」と言っていたけどそのオジサンはお構いなしに鍵盤の蓋を持ち上げていた。そのオジサン曰く「せめて鍵盤部分を見せてくれたっていいだろう!見えないと何だか味気ないよ!」と言っていたな。

確かにショパンが使っていたピアノだったら何も文句を言わないけど「ただのピアノなんだから、別に弾く訳ではないんだから少々文句は言うな!」って感じなんでしょうね。

 

こちらは大理石でできたショパンの像。1933年の作品で本物はワルシャワ国立博物館にあり、これはレプリカである。

 

たぶんショパン一家が暮らしていた時もこの窓から外を眺めていたハズ。ただその景色は今とは全然違ったものだったのだろうが。

 

ツアーで旅行に行くと最近はみんな何でもかんでも写真を撮るので、写真撮影する時に順番待ちになる事が多い。特にボクのように沢山写真を撮る人間には、そんな待ち時間が勿体無いのでなるべく先々を行くようにして先行して写真撮りするようにしている。

 

こちらはこの家の年代別の写真。ショパンが生まれた頃にこの家を所持していたスカルベク伯爵家だが、のちに他人の手に渡ったこの建物。

 

こちらは木をレーザーカットして造った、この家の見取り図。

 

ショパンといっても意外とポーランド人って知っている人はあまり知らないかもしれない。というのもある程度の歳でポーランドを出て、ウィーンからパリへ移り住み、ポーランドに戻る事がなかったから。

 

パリで活躍して一躍有名になったショパンは故郷ワルシャワの地に凱旋する事を夢見ていたが、ロシア帝国が支配していた当時のポーランドでは帰国もままならないと分かっていたので結構故郷に再び足を踏み入れる事なく亡くなった。その代わりに遺言で自分の心臓を故郷に持って帰って欲しいと記し、遺言通り姉がワルシャワにそのショパンの心臓を持って帰ったのである。そしてこのツアーでは7日目に訪れる聖十字架教会の柱の中に、そのショパンの心臓が埋め込まれているのである。

 

こちらはジェラゾヴァ・ヴォラの見取り図、街というよりかは村といった規模。

 

当時の人達は死んだ後、魂は心臓に宿ると考えていたのでショパンも心臓を故郷に持って帰って欲しかったのだ。ショパンの作曲した曲のイメージといえば、前半はゆっくりなのに急にテンポが変わり情熱的な曲調になるという感じ。それだけ情熱的であったショパンなんだろう。

 

ショパン生家付近の庭園にて

生家内の見学を終えて、外に出る。まだ小雨は降っていたけど傘は差すほどじゃないと思っていたけど、周りの人達はそこそこに傘を差していた。

 

生家付近の景色 動画

このようにショパン生家付近ではショパンの作曲した音楽が流れています。

 

ショパンの生家だった建物も改装されて、だいぶキレイな建物になっていた。

 

そしてこの広大な庭園内をちょっと天気は悪いけど、散策します。

 

生家付近の景色 動画2

 

昔眼鏡だった頃は雨降りに弱かったけど、レーシック手術した後に眼鏡をかける必要がなくなると、傘も要らなくなるようになる。「多少の雨ぐらいで自分の行動が変えられてなるものか!」という感じに。

 

傘を差した人が集まっている先には、何かの銅像が見える。ここがショパンの生家があるという事は勿論この銅像の正体はというと・・・・・

 

やっぱりショパンでしたね。近くでこの銅像を見てみると、ちょっと手が大きいのが分かる。添乗員さん曰く「ショパンは一般より手が大きめだったそうです!」との事。ちなみにショパンの死後、デスマスクと共に左手の型も取られたそうな。

 

侵略の歴史ばかりのポーランドで、ポーランド人の魂の象徴ともいえるショパン。彼は単なる曲を作った人間なのではなく、ポーランド人の魂を揺さぶる、心を込めた曲を作ったのである。

 

ポーランド人の英雄ショパン、彼の作った名曲は後世の人類に渡って受け継がれていくのであろう。

 

この銅像を見た後は再び生家の方に戻ります。またここでショパンの曲を耳にする事が出来ます。

 

それにしても他の観光客が全然居ない、このショパンの生家。この周辺には他に見る所も無いので、あまり観光客が来ないのだろうか?!

 

小雨の中をまた歩きだします。殆どの人が折り畳み傘を持って来ていたようです。なかなか準備がよろしいようだ。

 

今回20人が参加していたこのツアーだが、写真を撮るのが好きな人や別に写真なんて撮る必要もないという人とかもいて、それらを観察しているだけでも楽しめる、観察好きなボクであります。

 

この広大な庭園は1937年に完成され、その後もキチンと手入れがされている様子。

 

ポーランド旅行を終えてみて、ポーランドを一言で表すと「ショパンの魂」がそれを象徴しているような感じがした。

 

庭園内にはこのように河もあって、橋まで掛けられている。

 

個人的にはこれだけ広大な庭園を管理しているのであれば、一般に開放してもっと活用してもらった方がいいのではないかと思う。だけどこの付近に住んでいる住民も少ないので、あまり散歩に来る人もいないのかもしれないな。

 

庭園内の景色 動画

 

せっかくこれだけ広い庭園を管理しているのであれば、もっと大勢の人に来てもらってリラックスしてもらえた方がいいように思うのだけど。

 

11月の中央ヨーロッパはオフシーズンに差し掛かる時期で、あまり日照時間もなく思っていたよりも肌寒い。それとあまり天候もよろしくないようで曇り空が多かった。

 

今回のツアー参加者も大体60~70代の人ばかり。男性の最年長はなんと79歳だったけど、70歳前半にしか見えない位若々しかった。話を聞くと趣味で山登りをしていて、足腰には自信があるという。やっぱり普段の運動が体の根幹を造るという事みたい。。

 

ボクは旅行前にその国の事前情報をあまり頭に入れずに訪れるタイプ。だからこのポーランドもどんな遺跡や歴史があるとかは全然知らなかった。だから他のヨーロッパの国と比べて「何が違うのか?!」と思う位であった。

 

それにしても、そこそこに手入れされた芝生。これだけ広大な芝生を管理するのも結構手間がかかるハズ。その苦労には頭が下がります。

 

庭園内の景色 動画2

 

そして庭園を歩いて行った先に、何やらオベリスクのような形をしたものが見えてきました。

 

こちらは1894年に除幕されたポーランド初のショパン記念像。「何で記念像っていうけど、こんな形をしているの??」って思うかもしれないけど、当時支配していたロシア帝国には他のデザインでは政府の許可が得られなかった為だという。

 

ショパンの生家(記念館)を造ろうというきっかけになったのが、この記念像の設置だったという。勿論この像の除幕式でショパンの名曲が演奏されたそうだ。

こんなポーランドの旅はまた次回に続きます!

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