知覧で特攻平和会館で朽ち果てた零戦に思いを馳せる編-西郷どんと鹿児島周遊旅行記-14

【鹿児島周遊旅行記】4日目

【個人旅行】2019年10月13日~16日

 多くの散って行った命に

さて迎えた鹿児島旅行4日目、今回の旅行は今日で遂に最終日となります。今日もいい天気で思う存分鹿児島を楽しめるハズ。さて今日はどこに行くのだったかな?!

 

 知覧の特攻平和会館を訪問

鹿児島市中心部から高速を使って、約50分車で移動して知覧にある特攻平和会館に到着します。

 


【知覧特攻平和会館】

住所:鹿児島県南九州市知覧町郡17881


第二次世界大戦の終戦間際、連合軍との戦いに打つ手が無くなっていた日本軍は爆弾を積み込んだ戦闘機ごと、敵に体当たりする戦法を発動します。俗に言われる”特攻作戦”である。十死一生」という言葉もあるけど、この特攻作戦は「十中十死、零生」と言われる必死のものであった。

 

知覧にあった航空基地からは特攻作戦で戦死した1,036名の内、最も多い439名が出撃していったようだ。本土の最南端にあり、一番出撃に最適な位置にあったのがその要因らしい。

 

ミッドウェー海戦で日本軍は大敗した後もラバウルやガダルカナルでの戦いなどでベテラン戦闘員を多く失った日本軍。戦闘機パイロットの育成には数年の歳月が必要だが、多くのベテラン戦闘員を失ったので急ぎで新米パイロットを戦場に出さざるを得なかった。

 

戦争序盤は無敵を誇った零戦も戦争が進むに従い、相手も墜落した零戦の機体を入手し研究して弱点を見出していった事により戦争後期は苦戦が多くなる。更に飛行訓練時間がまだ基準に満たない新米パイロットを搭乗員不足の為に、戦地に送り込まざるを得ない状況だった。

 

そんな未熟な新米パイロットと時代遅れな性能になってしまった戦闘機との組み合わせ。想像の通りに更に苦戦が続き、その打開策として考えだされたのが大きな爆弾を吊り下げてそのまま相手母艦に突撃する”特攻”作戦であった。

 

特攻作戦も初期の頃は相手戦艦などを大破させたりと目立った戦果もあったが、その後は連合軍の対空能力が向上し後半はまともに相手艦にすら辿り着けずに多くの特攻機は無念にも海上に墜落していった。

その辺の様子は2013年に公開された映画『永遠の0』の戦闘シーンにも描かれている。ベテラン戦闘員は新米パイロットを戦場に連れていく役目を言い渡される。彼らは指導員なので失う訳にはいかなかった。しかし岡田准一演ずる宮部久蔵はそんな目の前での若手パイロット達の無駄死を見ていく度に、心が病んでいくのであった・・。

 

戦時中は軍の統制下にあり、国家を掲揚するイメージ戦略が行われており敗戦濃厚な状況下であってもラジオから流れるのは軍艦マーチに「連戦連勝の日本軍!」という感じだったようだ。しかし戦闘員の中には特攻を拒否した者や指導員の中にも「命は粗末にすべきものではない」と軍部に歯向かった者もいた。だがそれらの人達の声は残念ながらあまり世間には知られていない。。

 

特攻隊員に選ばれた者が最後に親などに宛てて書いた手紙が、特攻平和会館には沢山置かれている。中には「20代位の若者がこれだけ達筆だったのか!」と思う位に字体が綺麗な手紙もあった。しかしこれらの手紙は全て日本軍が内容を検閲していて、弱気な内容になっている物や日本軍を批判している内容は破棄されたという。

 

だからここの会館には特攻隊員が最後の気持ちを綴った手紙の全てが置かれているという訳でもない。残されているのはあくまで日本軍にとって都合が良かったものだけが残されているのである。ただそんな手紙を見るだけで、十二分に感動してしまうのだがそれはあくまで光の部分。日の当たらない暗い部分があるという事も認識すべきだと思う。

 

しかし多くの特攻隊員が日本国の為に自分の若い命を投げ出していった事には変わりはないのである。そんな彼らの勇気と誇り、そして自分の命を捨ててまでも守りたかったものを、我々日本に生まれた日本人は引き継いでいかないといけないのである。

 

果たして自分がそんな境遇に置かれたら、一緒のことが出来たのだろうか?!他人の為に死ぬことは嫌でもないけど、それが本当に意義があればいいけど犬死は嫌である。大企業の歯車には成れない自分には多分特攻は無理だっただろうな。。

 

という事で入場料大人1人500円を払って、知覧特攻平和会館に入って行きます。しかし残念ながら館内は写真撮影が禁止・・・館内には特攻隊員が残した遺品が見きれない位に沢山飾ってありました。

 

 零戦の残骸と向き合う

そんな特攻平和会館内で唯一写真撮影可能な場所があり、そこには零戦の本物の機体残骸が展示されていました。

 

開戦当初は無敵な空中戦を披露し、戦況を有利にしていった零戦。しかしその優位性に固執したのか、後続機種の開発が進まなかった。

 

零戦の優位性を高めたのが高い回旋能力と遥か遠くまで行ける航続距離である。しかしそれは機体の防弾壁を大幅に減らした代償でもあった。その為に数発被弾しても墜落しない連合軍の戦闘機とは対照的に、機体に被弾すれば簡単に燃料に着火し炎上した零戦。”空飛ぶマッチ棒”とまで比喩されたという。

 

この世の中、その時は無敵であってもその栄光は長くは続かない。必ず敗戦した相手は研究し能力を向上してくる。そしていつの日か勝者が敗者になる日が必ず訪れる。当時広大な領土を支配した古代ローマ帝国やオスマン・トルコ帝国も滅ぶ事となる。地球上の自然の法則とでも言えようか。

 

ただ特攻記念館を見学しただけでも色んな事を頭の中で描いてしまう。当時の事は勿論自分が生まれてもいないし、ましてや自分の親も生きていない。だからあくまでも他人の話や書籍などの知識でしかないけど、それでも充分に勉強になる。

 

当時日本軍の無理難題を課せられて開発された零戦。しかしこの零戦は日本人の誇りでもあり、象徴的なものでもあるのだ。自分の体を犠牲にしてでも目的を果たすという気質、これは日本人に代々引き継がれるものだと思う。

 

零戦の残骸の様子 動画

 

ここで見学していると、海軍関係者と見られる軍服を着た人達が大勢やって来ていた。

 

内部は写真撮影禁止だったけど、このロビーは辛うじてオッケーだった。左側には零戦から救い出されて昇天していく様子のように見える絵も飾られていた。ここを訪れている時は全然そんなのがあるなんて思ってなかったけど、この写真を見返すとそういう事に気付ける。そういった面ではこうやってブログを作成する事に大いに自分的に意義を感じる。

 

こちらは狭い兵舎で中では兵士達が薄い布団の上で、当時は寝ていたようだ。

 

そして知覧というと、特攻よりもお茶の方が今では有名なのかもしれない。鹿児島旅行に行く前にオカンから「知覧茶、買って来て!」って言われてたけどスッカリこの頃には忘れていたな・・・。

 

このカフェでちょっと休憩する事にした。

 

ただコーヒーよりかは、ここは知覧なのでお茶を飲もうと思う。中々こういう店で温かいお茶を有料で飲む機会もあまりない事だし。

 

鹿児島は日本のお茶の生産量では静岡県に次ぐ第2位なのです。あまりそういった印象は無いけど、名産品にはお茶も入っている鹿児島なのです。

 

そして出てきたHOT知覧茶、1杯200円なり。そして隣のお土産物屋さんで知覧茶の飴も購入する。

 

そして知覧から散っていた特攻隊員を偲んで、お茶を飲んだ後は近くにある武家屋敷群も見に行きます。

 

日本最大級の出水郡武家屋敷をもう見たからいいかな?!と思っていたけど、西郷どんが連れて行ってくれたのでせっかくなので見学する。駐車場付近は川が流れていて、とても気持ちがいい場所。ちなみに駐車場は有料だった。

 

 知覧武家屋敷群の見学

駐車場の横に武家屋敷群がある訳ではなく、ほんのちょっとだけ歩いた所にあるようだ。

 

まずはどこに武家屋敷群があるのかを探してみる。周りを見回してもすぐに見える訳でもなかった。この橋の先には特に武家屋敷群はなさそう。

 

武家屋敷群付近の景色 動画

 

この武家屋敷群のちょっと面白い所は目立った券売所が無い事。。どこで買えるかというと・・・・

 

このような商店が券売所も兼ねているのだ。この辺りでは券売所が数か所あったが、初めての人にはちょっと分かりにくいように感じたが。。

 

入園料をお土産物屋さんで支払いして入って行きます。特に係員のような人がいる訳でもなかったけど、ちゃんとお土産物屋さんのオバチャンが目配せをしているのだろうか。

 

今から約250年程前に造られた武家屋敷群。1国1城しか許されなかった江戸時代、武力を維持する為に113もの外城と呼ばれる地区に分け分散して統治されていた。

 

この知覧武家屋敷群では、出水のように家屋内には立ち入りできないけど庭園内には7か所ほど入れるようになっている。

 

この武家屋敷も垣根がキレイに管理されている。

 

こちらの武家屋敷として公開されている地帯には昔からの日本家屋が続く。

 

 西郷恵一郎庭園にて

まずは南側から武家屋敷群に入って行き、最初にあったこちらのお家に入ってみることにする。

 

こちらは江戸末期文化文政時代頃に造園されたと言われている。

 

こちらでは最初に入園料を払っているので、個別に入場料金を払う必要はありません。

 

武家屋敷群を見学する前にまずは記念写真撮り。この知覧武家屋敷群で2018年に放送された大河ドラマ「西郷どん」の撮影が行われたようだ。ただ勿論この大河ドラマは見た事が無いけどね・・・。

 

そして次は”西郷どん”も記念写真を撮る。こういうパネルで写真を撮る時はもうちょっと顔を突き出し気味にした方が、いいんだけどな。。

という感じでまた次回に続きます!