【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】6日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
最後の晩餐?!
こちらはエルサレム旧市街地にある城壁をくぐる門の内の1つである「シオン門」。アルメニア人街を歩いて、こちらにやってきました。
この辺りは昨晩、1人で散策した時に来ていたので少し土地勘があります。最近は海外旅行に行った時は夜に外をなるべく歩くようにしています。バスで移動ばかりしていると、自分の体内地図感覚が磨かれないように感じる。でも手探り状態で街を自分の足で歩いていると、知らず知らずにその場所の土地勘を体得しているのである。と言っても多分一生に一度しか来ないかもしれないんだけどね。。
そこから路地を進むと大きな教会が見えてくる。こちらは「マリア永眠教会」と呼ばれていて、聖母マリアを祀ったエルサレムで一番大きい教会で地下には聖母マリア像が横たわって安置されている。
暑い8月のエルサレム。湿気が少ない中東の街エルサレムでは、汗でビショビショという状態にはならずに掻いた汗はすぐに蒸発してしまうので、それ程汗を掻いた感覚にはならないのである。だから水分をこまめに補給しないと熱中症になりやすいのだ。
事前に添乗員さんから聞いていたけど「エルサレムで最後の晩餐の部屋に行くけど、実際に行っても気付かなくて、後から『まだ最後の晩餐の部屋に着かないの??』と聞く人もいる」との事。という事でこれからその楽しみにしている”最後の晩餐の部屋”に向かいます。
こちらの階段を登って上に向かいます。現地ガイドさん曰く「ここは無料で開放しているので、管理している人もしっかりしていなくて数年前に鍵を閉めて、その鍵を持ったままバカンスに行ったので数日間、最後の晩餐の部屋に入れない事があった」とか。。
と言われて「ひょっとしたら・・・今日は・・・?!」と思ったけど、無事開いてて安堵する瞬間。。
最後の晩餐の部屋の案内板。英語とイスラム語とヘブライ語の3つの言語で書かれているのが、いかにもエルサレムの街っぽい。
目視で最後の晩餐の部屋の入口が開いているのを確認。海外では日本の常識が通用しないので、常に油断してはいけない。
それにしてもエルサレムの街は色んな物があり過ぎて、歴史が凝縮された街である。ただ残念ながら歴史的な建物は一度は破壊されたものが多いけどね。
最後の晩餐の部屋へご案内~!
さて皆さんも一度はその有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画「最後の晩餐」をメディアで見かけた事があると思います。そんな部屋に足を踏み入れます。
さてこちらがその「最後の晩餐」をキリストが食べたとされる部屋。「天井はこんなアーチがあったっけ??」とか、色々と???が出てくるかと思いますが。
こちらがレオナル・ド・ダヴィンチが描いた有名な絵画ですが、部屋の間取りが実際の部屋とは全然違います。というのもダヴィンチはこちらの部屋を訪れた事が無く、あくまで想像でこの部屋を思い浮かべて描いた作品なので、部屋の間取りが違っていて当然なのです。
ただこの最後の晩餐の部屋自体も、2000年前のものが現存している訳ではなく、11世紀頃に再建されたもので当時がこの通りだった訳でもないのだが。
これだけ間取りが違う部屋なので、絵画のイメージを頭に持っている人達からすると「これがその部屋なの??」と思う人が多いのも納得します。
再建された後もイスラム教徒の支配下時代にはモスクとして使われていたようで、その面影は殆ど残っていないと言っても過言ではないと思う。
エルサレムの街は1世紀にローマ帝国によって大規模に破壊されたので、その当時の建物が現存しているものは殆どない。残念だけど、その前に「本当にキリストって、実在したの??」という疑問も浮かんでくるが、それの答えを求めても時間の無駄に終わる可能性が高いのでそれはパス。。。
最後の晩餐の部屋の景色 動画
大勢の観光客が集まる最後の晩餐の部屋。外国からの観光客もこの部屋を見て、同じように思っているハズだろう。
今まであった頭の中の最後の晩餐の部屋のイメージを、現実の目の前に見える部屋と同化して置き換えるのに、少々時間がかかる。。人によっては脳が拒絶する人もいるだろうな。
最後の晩餐もダヴィンチの絵が有名過ぎて、そのイメージが強くなりすぎているけど実際にキリストが現実に居たと仮定してもそこまで豪勢な感じではなく質素な晩餐だったのかなと妄想してみる。
とりあえず、ボクもここで最後の晩餐を食べてるイメージを頭の中で描いて”最後の晩餐ポーズ”を試みる。
添乗員さんから「座ったVerもいいのでは??」とアドバイスを貰って、床に座り込みイスラム的に右手で食事するポーズにトライ!
こちらの部屋にはオリーブの木が置かれていて、そんな平和の象徴である木の前で記念撮影する若手女子コンビ。彼女達にも今回の旅はとても勉強する事が多くて、実りある旅行になったようだった。
こちらはイスラム寺院になっていた時代があるので、お祈りする際に信者が向くメッカの方向を差したオブジェ。
そんな場所で胡坐をかく男。。
「すいません・・・ポーズ、間違えてました・・・orz」と頭をひれ伏す男。。
エルサレムは世界的にも歴史の詰まった都市なので、見所充分。こちらの柱ひとつにとっても細かい装飾が施されている。こちらの建物は十字軍がエルサレムを奪還した時に再建されたもののようだ。
理想と現実がこれだけ違う事を実感できた、最後の晩餐の部屋でした。とてもいい勉強になりました。何でも実際に自分で足を運んで、現地を見てみる重要性を再認識した瞬間でもありました。
こちらはその最後の晩餐の部屋からの出口です。ちょっと低いので、頭を打たないように注意して出ましょう。
このようにちゃんと頭を打たないように、両手で抱えて安全に出口を出ます!
そして次に向かうのは、近くにある「ダビデ王の墓」です。最後の晩餐の出口から、すぐの場所にあります。
ダビデ王の墓も見学!
約3000年前にいたとされる、イスラエル王ダビデのお墓跡。実際に本物があるのかというと、色んな説があるので何とも言えないそうですが、ユダヤ人はダビデの子孫と考えているので彼らにとっては大事な先祖で英雄なのです。
「KING DAVID`S TOMB」と英語でも表記されている。ヘブライ語は全く読めないし、何が書いてあるかも想像すら出来ない。。
お墓の見学は男性と女性で分かれる。「トイレじゃあるまいし・・・」と思うけど、別に何かが違う訳でもないのだが区別されています。
男性はここでレンタル・キッパが置かれているので、こちらを被って入らないといけません。ここはユダヤ教の場所なのです。
レンタルのキッパを被って、奥の部屋に進みます。「ダビデ」って海外旅行し出す前は、単に”ミケランジェロの作った裸体の像”としか知らなかった。だから初めはエルサレムでダビデの塔というのがあって「何でエルサレムでダビデ??」と思っていた。それ位世界の歴史に無知だったけど、旅するにつれて徐々にではあるが少しづつ知識が蓄積されてきているのを実感する今日この頃。
そしてここが「ダビデの墓」で男性用の部屋から見たもの。
さすがに3000年前の人なので、これが本当のお墓と考える考古学者は少ないようだ。あくまでユダヤ人の信仰の場所といった感じなんだろう。
イエス・キリストはイスラエル王ダビデの子孫とされている。だから当時のエルサレムの王様ヘロデは王位を剝奪される事を恐れて、キリストが生まれた場所とされるベツレヘムの乳児を皆殺しにしたという。
ユダヤ人街でよく目にする「本枝の燭台」。金で加工された7分枝燭台として旧約聖書に記述されており、エルサレムの神殿でも使用されていたという。エルサレム神殿が破壊された時に貢物として略奪された絵も残っている。ただエルサレム神殿に置かれていたとされる聖櫃(アーク)はその際に持ち出されたという話は残っていない。
そんなユダヤ人のシンボルでもある燭台について、熱心に説明してくれる現地ガイドさん。
日本語を喋れる現地ガイドは沢山いるけど、たまに発音がビミョ~で聞き取りにくい人もいるので、日本人の現地ガイドさんの説明ほど聞きやすいものはないのである!
ダビデの墓は2013年に修復されたと看板に書かれている。
ダビデの墓を出て、ちょっと休憩していると久しぶりに猫ちゃんを見かけた。ただし野良猫なのか、エルサレムの猫ちゃんは警戒心が強くて、すぐに逃げていった。。
こんな様子はまた次回に続きます!
↓↓↓↓ヨルダン&イスラエル旅行記:初回↓↓
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