【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】6日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
嘆きの壁を見下ろす?!
エルサレムの朝、ホテル内にある朝食会場に向かうと”味のある”サングラスをしていたウエイターのオジサンが居た。ユダヤ人の独特である、頭の上に乗せる小さな帽子”キッパ”を被っている。
レストラン内の写真を撮っていたら、こちらの若いウエイターのお兄さんが冗談半分で「あのオジサンを写真に撮りなさい!」と言ってきた。
という事でその冗談に乗っかり、そのオジサンと記念撮影を行う事に。本当はサングラスをした状態のオジサンと写真を撮りたかったのだが、丁寧にサングラスを外してくれましたね・・・。
エルサレムで朝食を!
さて、エルサレムの朝食はどんな感じなんでしょうか?!添乗員さんからは「イスラエルで採れたものしか基本は置いていない」と聞いていたので、どんな物が出てくるか少しだけ心配であったが特段変わったものはなく、どこの国でも食べているものばかりであった。
オジサマ達は朝から食欲旺盛のご様子、特段体調が悪くなる人も無いようでよかった。食べ物などで体調を悪くすると、せっかくの楽しい旅行が台無しになってしまうので。
チーズは薄切りで置かれる場合が多いが、このように塊で出てきている方が見栄えがいい!
スクランブルエッグなど、特段変わったものは置かれていない。
中東の国ってあまり魚料理のイメージが無いので、魚系はパス!
大きなパンもいいけど、一口サイズのパン位が量的に丁度いいね!
チーズと違って、パンはカットされている方が個人的には嬉しいのだが。
チーズの横にはこのようにお洒落なチーズをカットするナイフが置かれていた。
思わず手に取りたくなるナイフのデザイン!
本日の朝食はこんな感じにしてみました。せっかくなので厚切りチーズも盛ってみました!
サングラスのウエイターオジサンから、オススメされたヨーグルトを取ったが種類が想像以上に多かった。ユダヤ人が古来から使っているヘブライ語で書かれているので、全然文字が読めない・・・。
エルサレムの旧市街地に向かう!
今日は一日エルサレムの観光、そのほとんどが旧市街地を巡る。それだけ歴史が凝縮されたエルサレムの旧市街地。
旧市街地を取り巻く城壁が見えてきた。この城壁は16世紀に当時オスマン・トルコ帝国時代の王様スレイマン1世が新しく建て直させたものである。それ以前にあったエルサレムの旧市街地を取り巻く城壁は13世紀に壊された。
こちらは「ヘロデ門」(Herod’s Gate)である。この門の名前は、ヘロデ王の息子「ヘロデ・アンティパス」の家があった事が由来しているそうだ。このヘロデ王の息子は、イエスを洗礼した”洗礼者ヨハネ”を斬首で処刑した人物でも知られている。その様子を描いた絵画で最も有名なのがマルタの首都バレッタにあるサン・ジョヴァンニ大聖堂に飾られている「洗礼者ヨハネの斬首」カラヴァッジョ作(1608年)である。
マルタ島に行った時にこの絵を見た記憶がある。周りに観光客も沢山いてマルタ島でも人気の絵画であった。
エルサレムの旧市街地を取り巻く城壁にはこのような門が合計8つ設置されている。それ以外からはこの城壁を通り抜けできない。
この辺りは墓地のようだ。人口の増えてきたエルサレムではこのような立地にあるお墓の場所はだいぶ地価が上がっているのだろう。でもお墓を撤去してそこに住む訳にも行かないし。。
向こう側にはオリーブ山が見えていて、あそこからだとエルサレムの旧市街地を見渡せる事が出来る景色が見える場所。昔エルサレムを追放されたユダヤ人はあの丘の上のオリーブ山から、エルサレム神殿があった場所を眺めていたとか。
この旧市街地付近は駐車した車だらけで、駐車スペースがあまりない。そして観光バスは大型なので余計に停めれる場所が少ない。
城壁の中にドーム型の建物が見えてきました。だんだんテンションが上がってきます!
あまり長い間駐車しているとドライバーさんが罰金を払わないといけない事になるので、足早にバスを駆け下ります。
相変わらず直射日光のキツい、8月のエルサレム。現地ガイドさんからは「汗はあまり掻かないけど、すぐに蒸発しているだけでたくさん汗が出ているので水分補給はこまめにしてください!」とのアナウンスがあったものの、手荷物は極力持ちたくないボクは1人手ぶらでバスを降りる。
だけど夏場だと半袖・短パンの恰好で過ごせるので、持って行く服装が少なくて済む。
「糞門」から旧市街地に入る!
何とも品の無いネーミングの「糞門」。昨日の夜に何も考えずにエルサレムの街歩きしていた時に、知らず知らずのうちにこの糞門を通り過ぎていたようだ。
糞門から旧市街地に入って後に、振り返って城壁を見ると確かに昨日の晩にここを通った記憶が甦る。
昨日の晩にこの辺を歩いた時は、何にも考えずに通っていたけど嘆きの壁や岩のドームといった歴史的な建造物の間近を知らず知らずのうちに歩いていたのだったが全然気付かなかった・・・。
これからはまず岩のドームを見学します。このエリアは近くに嘆きの壁もある、荷物のセキュリティを通る必要があります。ユダヤの宗教上の観点から、ユダヤ以外の宗教物を持ち込むとセキュリティで没収される可能性があるらしく、現地ガイドさんに昨日買ったキッパ(ユダヤ人の帽子)を持って入っても問題が無いか尋ねると「デザイン的にアウトになるかもしれないので、没収されたくなければバスに置いていた方がいいですね!」との返事。泣く泣く昨日購入したキッパをバスに置いてきたのであった。
そんな入口に掲げられていたイスラエルの国旗。六芒星はダビデのマークである。ユダヤ人はダビデの子孫である事を自分達の誇りとしているそうだ。
荷物検査が厳しい感じのセキュリティだったが、意外とアッサリ通過・・・結局帽子もスボンのポケットに押し込んでいれば、問題なく通過できていたハズ・・・せっかく今日用に購入したキッパだったのに・・・。
「モロッコ門」から嘆きの壁を見下ろす!
この回廊の先にあるのが「モロッコ門」と呼ばれていて、元々は12世紀頃にこのエリアに住み着いたモロッコ系の人々から来ている名前である。
この木造の回廊を進むと、奥に嘆きの壁が見えてきた。
右側に見えるのがユダヤ人にとって聖地である”嘆きの壁”である。エルサレム神殿のあった場所の現存する城壁跡である。ちなみにここでお祈りする場所は男女で分けられていて、向かって右側が女性用で左側が男性用になっている。ちなみにユダヤ人はこの壁の事を単に「西の壁」と言っている。
モロッコ門へ続く木造回廊内には、ベンチのようなものがあったが観光客の女の子の足場と化していた・・・。
反対側は未だ発掘中のような感じ。
ここにあったとされるエルサレム神殿は旧約聖書によると、紀元前1000年頃にダビデ王の息子である”ソロモン王”によって造られたとされている。
その後、2度に渡って改築されたエルサレム神殿。紀元前20年に当時のヘロデ王によって、大きく改築された(神殿が完成したのは西暦64年)時の西門城壁がこのようにして現存していて、古代イスラエル国の名残場所として、この壁がユダヤ人の信仰の中心地となっているのである。
この嘆きの壁は地上28段の19m、地下にも城壁は伸びており17段の13mが埋まっているそうだ。この壁もよ~~く見ると上段は石の大きさが違うのが分かる。このヘロデ王時代の改築時に造られた後にも、何回か増築で城壁の高さが伸ばされたそうだ。
嘆きの壁を見下ろす 動画
そんなユダヤ人の聖地であったエルサレム神殿が破壊されたのは西暦70年の事。ローマ帝国の属州となっていたエルサレムでユダヤ人の反乱が起こり、その反乱を鎮圧したローマ帝国との戦いの最中でエルサレム神殿は焼失してしまったのである。
そのエルサレム神殿が焼失してしまった日がユダヤ暦の「アブの月九」で、くしくもソロモン王が建てた第1代目エルサレム神殿が新バビロニア帝国に破壊された日と同じらしく、これ以来この日をユダヤ教は”断食の日”とする事となる。
そして世界中で虐げられているイメージが強いユダヤ人は、このエルサレム神殿が破壊された日からエルサレムには立ち入り禁止となるのである。その後もイエス・キリストを殺したユダヤ人の子孫というだけで十字軍遠征時には虐殺されたり、20世紀にもナチスなどによる大虐殺”ホロコースト”が起こった。
十字軍によりエルサレムを追い出されたユダヤ人は東にあるオリーブ山から、この神殿跡を見下ろしていた。その後オスマントルコ帝国時代にスレイマン1世が西側の壁にユダヤ人が祈るスペースを造るよう指示し、その壁の前は3メートル程の空間しか無かったそうだ。
その後1967年の第三次中東戦争後にエルサレムを奪取したイスラエルが、この西側の壁付近にあった住宅を潰して大きな広場へと変えたのである。ちなみにこちらは女性が祈る側の場所を真上から見下ろした写真。
そんな虐げられてきたユダヤ人の復興運動が20世紀になり盛んになってきて「シオニズム」と呼ばれるユダヤ人国家を建国する動きが強くなってイスラエルというユダヤ人の為の国が作られる事になるのである。
そんなユダヤ人にとっての聖地なエルサレムだけに、第三次中東戦争では国際世論に背を向けてでもエルサレム旧市街地を奪取したのである。
木造の回廊を進むと、門の入口が見える。これが「モロッコ門」である。
そんなモロッコ門の横には、デモ隊などと衝突する時用の透明の盾が置いてあった。
そんな盾を装備し、守備力が5アップした男?!
モロッコ門を抜けて「神殿の丘」に進む。ここには”岩のドーム”と呼ばれる、イスラム教の預言者ムハンマドが昇天したとされている場所があり、その内部には世界が創生された際の基礎石(世界の中心地とも)があるとされている。
そんなエルサレム神殿のあった場所に足を踏み入れる。そのエルサレム神殿には映画「レイダース/失われたアーク(聖櫃)」でも出てくる、モーセが持っていた十戒が書かれている石板が収められていたという”神との契約の箱”が置かれていたという。ただし本当にそのような箱があったのか? もし仮にあったとしてもどこにあるのかは謎とされている。
この神殿の丘もイスラム教が長い間エルサレムを支配していたので、すっかりイスラム教の影響が強くなっている。ちなみにイスラム教ではメッカ、メディナに続く第3の聖地がこの場所になっている。
この丘の南側にあるのは「アル・アクサー寺院」と呼ばれていて、8世紀に建てられたもの。ただしその後幾度の崩壊と修復を繰り返して今に至るようだ。
神殿の丘内部の景色 動画
背の高い木々の間から、金色のドーム屋根が顔を出している。あれがイスラム教3番目の聖地であり、預言者ムハンマドが昇天した場所とされている”岩のドーム”である。
その様子はまた次回に続きます!
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