【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】2日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
モーセの終焉地?!
ヨルダンに着いた初日、聖ジョージ教会の見学後に昼食を食べて、レストランからはあまり離れていなかったネボ山に到着します。
ネボ山に到着!
とても分かりやすい看板標識。このネボ山は海抜817mの山。
こちらがネボ山の入口です。このネボ山は聖書によると、神がヘブライ人に与えられたとされる”約束の地”を預言者モーセが率いていた民に指差した場所とされている。そしてモーセは約束の地に辿り着く事はなくここで亡くなるのだが、ただモーセのお墓がこの辺りにあるとかは残っていないそうだが。。
ここのゲートから入場して行きます。ゲートではチケットの裏側にあるQRコードを読み込みして、ロックが解除されるようになっています。
こちらはネボ山の入場チケット。
まずは入口を進む道が続きます。左右には木が植えられています。
「主(神)に感謝します!」的な内容のラテン語が書かれていた。
こちらは2000年にこの地を訪れたローマ法王ヨハネ・パウロ2世を記念して造られた記念碑。
だから一見、重要な古い時代の像かなと思ったけど、全然新しかった・・・。
横には「Marco」や「Nicolas」などの細かい文字も刻まれていた。
「Mount Nebo Siyagha Memorial of Moses」とあって、このネボ山の山頂部シャーガはモーセで亡くなった場所で、クリスチャンにとっては聖なる場所と刻まれていた。なのでこれがモーセのお墓ではないので、注意!
この辺りには松ぼっくりが沢山実っていた。日陰に入ると、ちょっとひんやりする。
こちらの丸い石は「THE ABU BADD」と名付けられているのは、この地方にビザンチン時代に建てられた修道院で要塞の扉として使われていた石。
向こうに見える教会はまだ新しいものだが、あの場所には4世紀頃に建てられた教会があった場所の上に建てられている。
こちらの表示は、観光ルールについて書かれています。教会内は喫煙や飲食は禁止という事。
標高も800m位の場所で雲一つない空なので、日差しが当たるとさすがに暑い・・・。辺りにはあまり日陰になる場所もないので、カメラもすぐに熱を持ってしまう・・・。
昔の時代の建物の残骸のような柱などが置いてあった。捨てるに捨てれないのかな?!
こんな暑い天気の中でも、添乗員さんは背広を着たまんま。「暑くないですか??」と聞いても笑顔で「大丈夫です、ハイ!!」と返してくる添乗員さん。長袖なので日差しを遮ってくれるので、思う以上に暑くはないのか、それとも単なるやせ我慢なのか・・・。
ある歴史書によると預言者エレミヤという人物が”契約の箱”をこの地に隠したという。この契約の箱とは旧約聖書に記されている「十戒が刻まれた石板を収めた箱」の事で、聖櫃(The Ark)とも呼ばれる。
映画好きの人はピ~~ンと来たかもしれないけど、名作インディージョンズ映画の第一弾「レイダース/失われたアーク(聖櫃)」でナチスが探していた箱がそれであった。第3代ソロモン王がエルサレム宮殿を造り、その地下にアークを保管していたらしいが、その後エルサレム宮殿が破壊された後は行方不明になっているという。
そしてモーセがこの山から、約束の地を見た方角にはこのような像が置かれています。
この像はイタリア人の芸術家によって作られたものだが、モーセが荒野で作った青銅の蛇と十字架に磔にされたキリストをイメージしているという。ちなみに「青銅の蛇」とは、モーセがエジプトから民を引き連れて荒地を進んでいたら、その民から神やモーセを疑う声が出た。すると神は”炎の蛇”(毒蛇)を送り込み、それに噛まれた民は次々と死んでいった。そこで今度は許しを乞うた民に対してモーセは神の言葉により、青銅で蛇を作り旗の先に取り付けた。するとこの旗を見たものは炎の蛇に噛まれても死ななくなった・・・という旧約聖書の話。
まあ信仰の無い人間からすると、なんじゃそりゃ・・・という感じの話のようにも感じる。こちらはこの像を作った芸術家さんのようだ。
モーセとイエストが絡み合う記念碑。モーセはキリスト教だけではなく、ユダヤ教やイスラム教など多くの宗教においても、最重要な預言者の一人とされている人物。
近くでこの像を見てみると、十字架の穴が空けられている。ただし全部じゃないけど。
下から像を見上げると、確かに蛇がキリストに絡み合うように巻き付いているのが見える。キリストを崇拝するのはキリスト教のみであるが、モーゼはその他の宗教でも重要な人物として崇められているのである。
ネボ山からの付近の景色 動画
そしてその先には「約束の地」がある。ちなみにモーセは神との誓いを破ったので、その約束の地に足を踏み入れる事が出来ずに、ここからその眺めを見るだけしかできなかったとされている。
そんな「約束の地」とされたカナンに目をやる人々。果たして3000年以上も前にモーセとエジプトから逃げ出したヘブライ人が見た光景が、今目の前に見えている・・ハズなのである。
ここでツアー参加者さんから、色々と質問があり「アブラハムはモーセより前の人??」とか聞いていた。この現地ガイドさんと添乗員さんとのやり取りがあまり上手くいってなかったようで、「そんな質問オレに聞かれても知らないヨ!」みたいな顔をしていた現地ガイドさんでした。。
ちなみにアブラハムの孫であるヤコブが、飢餓に苦しむヘブライ人を連れてエジプトへ移った。そしてその後エジプトで奴隷として働く事になったヤコブの子孫達の嘆きを聞いた神がモーセを使わし、ヘブライ人を約束の地カナンへ導くのである。だからアブラハムはモーセよりもだいぶ前の人間なのである。
「果たして自分にとっての”約束の地”はどこにあるのか??」 な~~んて事は全然考えていない能天気な男・・・。
教会内も見学します
さすがに直射日光にず~~っと当たっていると、暑くなってきたので近くにある教会内へ避難します。
ここには沢山のモザイク画が保管されています。古代の人は読み書きが出来なかったので、こうやって絵を使ってストーリーを伝承していった。
壁にまで色々とモザイク画が展示されている。
この場所には4~6世紀に建てられた教会と修道院の跡地。その当時あった柱なのかな?!
当時色んな動物を狩っていた様子が描かれるモザイク画。
教会内のモザイク画などの景色 動画
建物内は外と違って、比較的涼しい。
教会の床下には石をくり抜いて作られたお墓があったそうだ。その場所は今でもこのようにガラス板で見れるようになっている。ここで台湾系観光客の見知らぬオジサンが1人はしゃいで、この上でジャンプしていたっけ。。
こちらは教会なので、勿論お祈りするスペースがある。
このモザイグ画も細かいタイルを一個一個手作業で地道に貼っていく地味な作業が必要。ただ当時はこれが花形の仕事だったのかもしれない。
勿論これらのモザイク画のある場所では立ち入り禁止になっていた。
教会らしくキャンドルも置かれていた。
綺麗なモザイク画のようなステンドグラス。
世界的にはローマ時代に多くの床モザイク画が作られた。今まで見てきたモザイク画はその時代の頃の物で、ローマ遺跡などに行くとよく見かけた。
そんな教会でちょっと休憩する人。別にお祈りしている様子もなかったな・・。
こちらは井戸として使われていたようだ。
2000年にこの地を訪れたヨハネ・パウロ2世が、平和の象徴であるオリーブの木を記念植樹したものがコレ。オリーブの木がなぜ平和の象徴であるかといえば、ノアの箱舟で洪水を逃れた後に鳩を飛ばして辺りの世界を調べさせた時に、オリーブの木を咥えて戻ってきた事に由来する。
その後、近くにあった博物館っぽい建物にもトイレ休憩のついでに入ってみる。
こちらは先程の教会の模型かな?! その周りにあるのは昔に建てられた教会や修道院跡のような感じ。
こちらではモーセに率いられた民が約束の地まで向かった道が書かれていた。
その他にも壺など、色んな発掘品が飾られていた。
さっき見たモザイク画と、この場所の説明書きが書かれていた。
この4~6世紀に建てられた教会からはギリシャ語のモザイグ画も発見された。
この辺りで1933年に教会跡が発見された。この写真はその発見当時の床モザイク画を写したもの。
こちらにもギリシャ語の文章が描かれていた。ただし何が書かれているかは分からないけど・・。
この辺りの地形の模型のようだ。エジプトからヘブライ人を連れて約束の地を目指したモーセだが、約40年間もこの荒野を彷徨ったようだ。そりゃ簡単に行けると思っていた民も怒る訳だ・・・それに対して毒蛇を放つ神も、どうなんだと思うけど。。
こちらはネボ山の出口(入口も兼ねる)近くにあった、お土産物屋さん。
ネボ山に置かれていたモニュメントの置物はいい感じ。ああいうキリストの像って珍しいね。
十字軍のマークとしても有名な「エルサレム十字」が入ったコースターもある。
という事でネボ山の観光は終了し、これからはペトラ地方にあるホテルに向かいます。
その様子はまた次回に!
↓↓↓↓ヨルダン&イスラエル旅行記:初回↓↓
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