バルト三国旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日
メトロポリスホテルの今
カウナスの街にて
ここはバルト三国と呼ばれるバルト海地方の、リトアニアという国の第2の都市であるカウナスに来ています。カウナスは第二次世界大戦前にリトアニアの首都だった都市で、各国の大使館が置かれていました。そして日本国もこのカウナスに総領事館を造り、そこに総領事代理として杉原千畝を赴任させました。
カウナスを走るバスからの景色 動画
こちらはユダヤ教のシナゴーグ(会堂)、リトアニアには大勢のユダヤ人が居ましたが第二次世界大戦後にはだいぶ割合は少なくなったようです。
第二次世界大戦が勃発した後、リトアニアからも大勢のポーランド系ユダヤ人達がナチスドイツの収容所に連行される事になった。
バスから停まって降りたのは「ヴィータウタス・マグヌス大学(カウナス大学)」前。正面にその大学の建物が見える。
このヴィータウタス・マグヌス大学のアジア研究センターは、先程訪れた杉原千畝記念館の2階にあるらしい。
さてそろそろ昼食のお時間である・・・と思って油断して歩いていた。。ちなみにこの道は歩行者天国になっているようだ。
既に12時を過ぎていたので、すっかり頭も体も昼食モードに。。
メトロポリスホテルにて
カウナスの街を歩いていたら、知らなければすっかり素通りしてしまうような建物があった。
ここがリトアニアの総領事館を退去し、この国からの退出期限ギリギリまで滞在しビザを発給し続けたメトロポリスホテルである。
こちらのプレートもカウナス駅と同じ2015年に設置された。
こちらの建物は今でもホテルであり、宿泊する事も出来る。昨日の長時間のバス移動車内で杉原千畝の映画を見た甲斐あって、みんな杉原千畝に興味津々でこんなホテルのプレートも群がって写真を撮っていた。すっかり杉原千畝三昧なリトアニアである。
18世紀に建てられた歴史的な建物のホテルで、勿論内部の改装は行っているがだいぶ古そうな建物。昔の建物なので、エレベーターは付いていなく荷物が沢山ある人は上の階だと登るのにしんどいようだ。。
さて桜公園・記念館・カウナス駅・メトロポリスホテルと、杉原千畝ゆかりの場所4箇所を訪れたのでこれから満を持して昼食レストランに向かうようです。
ここは噴水でも造ろうとして、工事中のようだ。
このライスヴェス・アレヤ通りは歩行者天国で、結構道幅が広い。
なんか人通りがそんなに多くない割に、無駄に道幅が広いようにも感じてしまう・・・。
可愛らしい雑貨などが売っていそうな感じのお店。
のんびりとした雰囲気が流れるカウナスの街、リトアニアはバルト三国の中でも一番物価が安い。帰りのヘルシンキ空港でたまたま居合わせた日本人の女の子に話を聞いてみたら、リトアニアでプロのダンサーとして働いているとの事で4ユーロもあればデザートが付いてお腹いっぱいに食べれると言っていた。
クリスマス時期ではあったけど、この辺りはクリスマスの飾りつけなどはあまり無かった。
カウナスで昼食を
こちらのレストランが、これからの昼食会場のようです。下に降りる階段前には「RESERVED」という看板が置いてあり、いい料理が出てきそうな感じをちょっと期待してしまいそうになった。。
住所:Laisvės al. 79, Kaunas 44297
意気揚々と一番乗りでレストランに向かって、駆け下りていくのは”自称エロ坊主オジサン”。
このオジサンは海外旅行にビニール傘を持って来ていた、2人目のオジサン(1人目はヨルダン&イスラエル)。そしてたまたまかもしれないけど、2人のオジサンに共通していたのは”携帯電話を持っておらず旅行中は一切写真を撮らない”という事と”荷物がめちゃくちゃ少ない”という事。海外旅行も回数を重ねる毎に必要最低限な物が分かってくるので、段々と持って行く荷物は減っていく傾向にあるようだ。それにお土産も段々買う気が無くなっていくようだ。
さて地下に降りると既にテーブルには前菜のサラダが用意されていた。さすが「RESERVED」効果である。
マメな添乗員さんは必ずと言っていい位、しょうゆやポン酢、ドレッシングなどを日本から持って来ている。
こちらはシーザーサラダ、クルトンも載せられていて噛み応えがありました。
これまでの食事では大体1人参加者さん達とテーブルを共にする事が多かったのですが、今回は夫婦1組とテーブルを囲む事に。
食事のお供であるビールは4ユーロ。こちらの夫婦の旦那さんは機械関係のお仕事をされていて、昔仕事でポーランドに行った事があるそうだ。そして今ではすっかり有名になってしまった、くら寿司の社長とも仕事のやり取りをした事があるんだとか。
寒い時期のヨーロッパには定番の温かい、コンソメ的なスープ。冬場に飲むスープは一段と美味しく感じる。
本日の昼食のメインは「キビナイ」という、パイ生地で包まれた料理が出てきます。
中にはミンチされたお肉が入っていて、それが羊だったり豚だったり鳥だったりとバリエーションがあるようです。
外側のパイ生地はとてもサクサクしていて、触感も楽しめるし、味も勿論美味しかったですね!
先程のレストランはこちらのカウナス・ホテルの地下にあります。ホテル内のレストランというのは観光客向けに味を調整している所があるので、地元民が食べる味に比べて食べ易いのかもしれません。
さて昼食を食べて、お腹いっぱいになり、そこそこにビールが体内の血管に浸透してきた頃合い。これからバスに乗って移動して行きます。
シャウレイに向けて移動
さてバスに乗り、カウナスより約150km離れているシャウレイという街に移動します。
シャウレイまでは約2時間20分ほど掛かります。意外と離れています。
シャウレイに到着
そしてシャウレイに到着します。この時点で15時40分位でしたが、空は分厚い雲に覆われて、少し暗くなりつつあります。
それに寒い・・・
このシャウレイという街は、十字架が至る所に突き刺された丘がとても有名な場所です。なお、この時は全然気にしていなかったのですが、こういったお土産屋さんで購入した十字架を丘に設置してもいいようです。というかその丘は、元々は誰かが勝手に十字架を突き刺していったのが始まりらしい。
シャウレイのこの十字架の丘は、街の約12kmほど北に位置する場所にある。
バスを降りて、まずはトイレに向かう。長時間のバス移動だったのでオシッコタイムである。
こちらの売店横にあるトイレは50セントが必要。
トイレを済ませた後は約40分の自由時間となり、各自思い思いに十字架の丘に向かって歩いて行きます。十字架の丘へ続く道も最初の方には何もありません。なので「本当にこの先に十字架の丘があるの??」と思いそうになる位。。
十字架の丘にて
そんな道を3~4分歩いて行くと、正面に小高い丘があり、その周囲に広範囲に渡って十字架のような物が刺さっているのが見えてきます。
十字架の丘周辺の景色 動画
本当に気味が悪くなる位に、無造作に色んなサイズや材質の十字架が刺さっている・・・。
ここは1900年頃から当時支配下にあったロシアやソ連の圧制に対して、蜂起(反乱)した兵の家族が彼らの鎮魂の為に十字架を置きだしたのが起源という説がある。
十字架の丘周辺の景色 動画2
どれが最初の1本かは分からない。ソ連支配時代にブルドーザーで何度かこの十字架群を撤去したらしいが、翌朝になってみると何本かの十字架が必ず立っていたという。
この正面にあるキリストの磔にされた十字架は、入口の目印的な感じにも見える。この十字架はバチカンより寄贈されたキリスト像である。
遠くから見ると分からなかったけど、十字架に近寄って見ると足元にも無数の十字架が刺さっている。これらの十字架は観光客が置いていったりするので、どんどんと増殖を続けていっているという。ここにある十字架の総数は正確な数字は分からないが10万近くになっている可能性があるという。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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