シャウレイ十字架の丘に乱立する数万本の十字架の意味とは-バルト三国旅行記-20

バルト三国旅行記:4日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

十字架だらけの丘・・

ここはすっかりリトアニアの聖地の1つにもなってしまった、シャウレイという街近くにある丘。巷では”十字架の丘”と呼ばれていて、1993年にはポーランド人初の教皇であるヨハネパウロ2世がこの地を訪れた事でカトリックの聖地で、今では巡礼地として人気なんだとか。

 

シャウレイの十字架の丘にて

この十字架の丘には特に監視員のような人は居なくて、勿論入場料なども不要で自由に行き来できる。ただしあまり交通の便が良くないので、車で訪れる必要があるが。そしてここでは訪問者の自由に持ってきた十字架をこの丘付近に設置できるようだが、3メートル以上の物は事前に許可を取らないといけないようだ。ただ3メートルの十字架なり像を設置しようとすれば、クレーン車などの大掛かりな装置が必要になる。。

 

この丘で設置されている多くの十字架は、近くのお土産屋さんで売っているような小さな十字架。熱心な巡礼者や目立ちたがり屋さんはわざわざ自分の名前や日時を掘ったプレートも用意しているようだ。

 

主に木製の十字架が多い。ここでは昔ロウソクを一緒に灯していたら、その火が木製の十字架に移り、火事になった事もあるらしい。

 

12月中旬の寒い時期で観光シーズンオフに訪れたので、ここに来ていた観光客の姿はまばらだった。それに天気も良くないし・・・。天気がいい、温暖な夏場のシーズンにはここに多くの人達が訪れるという。そんな時期は周囲に沢山十字架を売っているお店が出ているのだろう。

 

確かに灰色の空には、黒っぽい十字架は全然映えない・・・。

 

このように丘に登る階段の脇には十字架がビッシリと設置されている。

 

これだけ十字架がある場所だとドラキュラ伯爵も、見ただけで逃げ出すかもしれない。。

 

それにしても気味悪い位に十字架だらけ・・・・ここが暗くなった時に独りぼっちにされると薄気味悪くて気持ち悪くなりそうだ。。

 

無数の十字架を眺める 動画

 

こちらの色が付けられているカラーのキリスト像は「In hoc signo vinces」と文字の入った十字架を持っている。ラテン語で意味は「この印のもと、汝は勝利する」という内容みたい。キリスト教をローマ帝国の公認宗教にしたコンスタンティヌス1世は、ある戦いの前夜にどこからかこのフレーズが天の声として聞こえたとか。。

 

この辺りは信仰心の表れというよりかは、20~21世紀に人間が引き起こした地球環境問題が見て取れる場所の様にも見える。。

 

それにしても十字架だらけの丘。この丘の地質を調べたら、14世紀頃に小さい城が建てられていたという証拠が見つかったという。

 

六芒星はユダヤ教のマーク。現在のイスラエルで生まれたとされるイエスキリストは元々はユダヤ教徒。しかしユダヤ教徒のみ幸せになればいいという考えの、その不合理さに反発を覚えて、ユダヤ教をベースとした自分なりの考えを説いた。そんな彼の元には多くの信者が出来たが、そんな新興宗教の芽を摘もうとしたユダヤ人達の策略によりイエスキリストは磔刑に処されるのである。

 

この丘に十字架が立ち始めたとされるのは1800年代中盤の頃。当時はポーランド分割後ロシアの領土となっていて、占領下にありその支配に不服なリトアニア人達は蜂起(反乱)を試みた。しかし結果的にはその反乱は失敗に終わり、捕まった反乱兵たちは処刑される。そんな哀しみの出来事に残された家族たちが、鎮魂の想いで十字架を平地ではなくちょっと小高いこの丘の上に設置しだしたという説がある。

 

マリア像には無数のロザリオが掛けられている。仏教でいう数珠のような品物。

 

こちらの大きな石はお墓のようにも見えるけど、ここにはお墓はないという。石の上にはコインが置かれているが、これはどこの国でも見られる。

 

こちらは日本語で何やらメッセージが書かれているが、達筆すぎて読めない・・・

 

こちらの鉄製十字架は「ZBLEWO POLSKA」とあるが、これはポーランドにある村の名前のようだ。その村を代表して設置したのかな?!

 

ここでは巡礼者が十字架を置いて行くのが、儀式のような物になっているのかもしれない。ただここを訪れた時は他の観光客の姿は殆ど無かったので、そういう光景を目にする事は出来なかったけど。

 

普通の十字架は縦と横だけど、ここに設置されている十字架は今まで見た事の無いようなオリジナルのデザインの物ばかり。わざわざここに置く為にデザインして、造ってきたのだろうか。

 

この丘は階段が真っ直ぐに進んでおり、100mほどで終わり。と思いきや、丘の周辺にも多数の十字架が置かれている。そしてよ~~く見ると監視カメラも設置されていたけど、それが取り付けられていたのは普通の柱。

どうせなら十字架の形をした柱に防犯カメラを取り付けていて欲しかったな・・

イエスキリストが十字架に磔にされた時の十字架は、4世紀にコンスタンティヌス1世の母親である聖ヘレナがゴルゴタの丘付近の神殿地下で発見したとされている。ちなみにその時には3つの十字架と釘も発見されたらしい。なんで3つの十字架かというと、キリストが処刑された時に他の2人と一緒に刑が執行された為だ。そんなキリストが磔にされたという十字架は、その後行方が不明になり、一部にはバラバラにされて色んな人達の手に渡ったという。しかしそもそもそんな十字架があった事自体が不明なので、”信じる者は救われる”というような話。。

 

キリスト教徒は信じているけど、イエスキリストという人物自体が実際に居たという証明はされていない。そんな教祖が居たと信じるキリスト教はまさに”信じる者は救われる”である。

 

こちらにはトーテムポール的な置物など、創意工夫を凝らした像が置かれている。

 

中には中央付近に見えるような、棒高跳びの選手が使用しそうな感じの長い十字架も見られる。

 

この丘は四方に階段があり、自由に昇り降りができる。

 

そんな十字架の丘を取り巻く十字架群を見守る場所のような外側に、簡易な建物が設置されているのが見える。

 

ローマ教皇の礼拝堂

こちらは礼拝堂で、十字架のようなモニュメントも見える。

 

1993年に”空飛ぶ教皇”とも呼ばれたヨハネ・パウロ2世がこの聖地を巡礼した時に、合わせて造られたという礼拝堂。この礼拝堂は教皇の礼拝用として一時的な物として建てられ、その後取り壊される流れだったけど、放置された。そしてその後文化的な遺産として認められると改修作業が行われて今日に至るという。

 

別に聖人がここに祀られている訳でもないのに、十字架が無数に置かれているという事により、この場所は聖地として認定されたようだ。

 

第二次世界大戦でリトアニアを占領したソ連は1961年以降に、リトアニア人のイデオロギーを封じる為に、この十字架が無数に置かれた丘をブルドーザーにて何度も撤去作業を行ったという。

 

しかしそんなブルドーザーでの撤去作業で十字架が撤去されても、周囲の住民により新たな十字架が翌朝になると設置されていたという。その後撤去作業を諦めたソ連軍とKGBによって、この丘を封鎖したりしたそうな。

 

礼拝堂から見渡す十字架の丘 動画

 

しかし何度も十字架をブルドーザーで撤去しては、住民らが十字架を設置し直すというのを繰り返した。そしてソ連軍はしまいにこの地を氾濫させて池にする計画まであったという。

 

そんな十字架にまつわるシャウレイの街の逸話である。そんな影で一番喜んでいたのは、付近で十字架を売る人達だったのかもしれない。。

 

まだ自由時間が余っていたので、丘の周りを歩いてみる。夜間の見学もできるように街灯も設置されている。

 

そんな何度も撤去されながらも、十字架を設置する事を諦めなかった人達の事を想像すると、宗教ってのは怖いもののようにも感じてしまう。ただ住民達にとっては、この十字架が彼らのアイデンティティーであったのであろう。

 

日本人からするとこのような十字架は”お墓”のイメージが強いので、1人で居てるとちょっと気味悪い。天気が悪いので余計にそう思ってしまう。。

 

丘の上だけではなく、周囲の原っぱにもご覧のように十字架は置かれているのである。2006年の年末に十字架の丘が燃えてしまったという火事があったそうだ。

 

十字架の丘の様子 動画

 

十字架の丘の様子 動画2

 

近年はその火事を除くと十字架が撤去される事が無いので、どんどんと十字架が増えている。

十字架が増殖しているようにも思えてしまう・・・

 

十字架の丘の様子 動画3

 

こちらには”マルタ十字”のようなマークも彫られている。

 

この十字架の丘は地元住民達の想いの拠り所となり、ソ連軍との抗争で住民達の意地の見せどころでもあった場所。最終的にはご覧の景色のように、住民達の想いがソ連軍を上回ったようだ。

 

ただ12月中旬の天気の悪い日にここを訪れた為、とても寒かった。。周囲には何も風を遮るものが無いので、体感温度はだいぶ低かったと思う。

 

中には十字架ではなく、このようなハート形のプレートまで置かれている有様。

 

これらを見ていると伏見稲荷大社の鳥居のように、お金を払って公式に設置してもらった方が街の収入となっていいのかもしれない。

 

この十字架の丘も来る前は楽しみであったけど、実際に来てみると天気は悪く、ひたすら十字架が置かれているだけの場所。寒かったのでツアー参加者さん達は殆どの人が、帰ってしまっていた。。

 

十字架の丘の様子 動画4

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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