カウナスの旧日本領事館で杉原千畝の足跡を辿る旅-バルト三国旅行記-16

バルト三国旅行記:4日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

リトアニアで知る、勇敢な日本人

今回のバルト三国旅行、4日目の朝はリトアニアの3つ星ホテルで目覚める。泊まった部屋の内装は思ったより狭いホテル。でも1人で部屋に泊るので、最低限度の設備さえあれば我慢できるのでそんな贅沢は言わないけど、周りの人達はそこそこに文句は言っていた。。

 

エコテルでの朝食

朝7時から朝食会場がオープンという事で、7時前に朝食会場に着くとツアー参加者さん達が押し寄せていた。

 

パックツアーで海外のホテルに泊まると、朝食朝7時~、ホテル出発は8時というパターンが多い。そうなると朝食会場が開いてすぐじゃないと、朝食を食べて部屋に戻ってから出発する準備をするにはあまり余裕が無いので必然と朝食は早めに行かざるを得なくなるのである。そういうボクも大体は朝食会場に一番乗りするパターンが多いんだけどね。

 

今回のツアー参加者さんは全員で29名なので、必然と朝食会場から慌ただしい。よく「中国人は勝手に列に割り込んでくる!」とか言うけど、日本人も料理に好き勝手に群がったりと、彼らに比べても遜色は無いとは思うけども。。

 

相変わらずのアッサリ目の朝食を食べる。朝から食べ過ぎると、お腹が気持ち悪くなるので。。

 

ボクら日本人団体に出遅れて、後からホテルに泊まっている外人さん達がやって来ているのが見える。まあ焦っても料理は無くならないんだけど、出発の時間はボクらの方が早いんだろうね。

 

カウナスに向けて移動

ホテルを朝8時に出発するが、辺りはまだ暗い。冬のヨーロッパは日の出が遅いので、夜にも見えてしまう景色である。また出勤ラッシュの時間帯なのか、道路は車で混雑している。

 

カウナスまで向かう途中の景色 動画

 


ホテルのあるヴィリニュスからカウナスまでは約100km離れていて、バスでも1時間30分位はかかる距離にある。

 

やっとカウナスの街に入って来て、元日本総領事の建物がある地域に入ってきた。閑静な住宅街にあるようで、周囲には民家が立ち並ぶ。

 

カウナスの杉原千畝:記念館にて

そして建物の前ではバスが停まれないので、ちょっと通り過ぎた所で降ろしてもらう。前まではもっと遠い所にバスを停めざるを得なかったらしいが、今では近い場所にバスを停めれるようになったそうだ。

 

【杉原千畝記念館:元日本総領事館】

 

住所:Vaižganto g. 30, Kaunas 01100 Lithuania

 

 

 

そんな旧日本総領事館前で歩いていた、お兄さんはここの現地ガイドさんとの事。

 

こちらが旧日本総領事館で、今では「杉原千畝記念館」となっている建物。

 

建物の前の木にはオーナメントが付けられているけど、枯れた木に虚しく付けられているようにも思う。

 

入口の門には「希望の門、命のヴィザ」と日本語で記されている。

 

さらに日本語で「階段が濡れているので、ご注意ください」と日本語のみの注意が置かれている。こういうのを見ると、ここを訪れるのは殆どが日本人であると想像できる。

 

杉原千畝記念館の見学

正面から入ると現地スタッフさんから「いらっしゃいませ、おはようございます!」と、日本語での挨拶で出迎えてくれる。

 

こちらはこの記念館の入場チケット。

 

記念館に入るとまずはビデオで、杉原千畝の功績や当時のカウナスを紹介する映像を見る事に。

 

父親からは医者になるように言われて育ったが、医者になるのが嫌だった杉原千畝はわざと不合格になるように試験の解答を提出したという。そしてその後は早稲田大学へと進み、中退してから中華民国のハルビンへ渡りロシア語の習得に励む。そしてロシア語をマスターした杉原はその語学力を認められて外務省にスカウトされるのである。そしてその後は敏腕外交官として人生を歩む杉原は、「葦のようにしなやかに、木のように堅くなるな!」と外交官として柔軟さが大事であると心に感じていたようだ。

 

記念館で流れるVTRの様子 動画

 

そんな杉原氏の説明VTRを見た後は、各自自由に記念館内の見学スタート。

 

実はこのバルト三国に来るまでは「杉原千畝」という名前の人物を、全く知らなかった。それもそのはずでホロコーストの事実自体もあまり世界的には知られていなかったが、1994年の映画「シンドラーのリスト」で世界的にも認知されたが”日本のシンドラー”とも称される杉原千畝の日本国内での知名度は少ない。

 

というのも杉原氏が残した功績は海外の外人に対してであって、日本国内の日本人にとってはあまり直接的に関係の無い功績だからかもしれない。それと彼は外務省からすれば”反逆者”であり、日本国として彼の残した世界的な功績を公に認める事を拒んでいたという事も影響しているかもしれない。

 

1939年8月に杉原千畝はリトアニア日本領事代理としてカウナスに赴任する。当時はリトアニアには殆ど日本人が居なかったという。当時のカウナスは現在リトアニアの首都であるヴィリニュスがポーランドに支配されていたので、リトアニアの暫定首都がカウナスになっていた。そしてナチスドイツとソ連という大国の中間地点に位置する、リトアニアの首都カウナスはそれぞれの大国の情報を入手するには打って付けの場所であった。

 

しかし杉原千畝がリトアニアに赴任した翌月の1939年8月にナチスドイツはポーランドに攻め入り、第二次世界大戦が勃発する。そしてナチスドイツと不可侵条約を結んでいたソ連は、その動きに同調するかのように東部からポーランドに攻め込む。そしてその重要な位置にあったリトアニアはソ連から再三要請を受けるも、支配下になる事を拒んでいた。しかしその後、戦況の優位性を考慮した結果リトアニアはソ連軍の進軍を認める事になる。ちなみにその判断の裏にはポーランドに支配されていた今の首都であるヴィリニュスをソ連経由でリトアニアに返還してもらうという考えが裏にあったのであるが。

 

こちらの地図はリトアニアに逃れてきた戦争難民のポーランド系ユダヤ人が、日本の福井経由で世界各国に散らばって行ったかを示す物。なお、リトアニアに逃れてきたユダヤ人達はまず杉原千畝に頼った訳ではなく、その前にオランダ領事館ヤン・ツヴァルテンディンが彼らに発給した、オランダ領キュラソーへのビザを入手していた。そしてそのキュラソー行きのビザを入手していたユダヤ人達はイタリアやトルコ経由で亡命していたが、イタリアのナチスドイツとの同盟締結、トルコの国境封鎖に伴い逃げ道が無くなっていったのである。

 

そしてキュラソー行きのビザはあるものの逃げ道を失ったユダヤ人達が頼ったのが、日本だったのである。彼らはシベリア鉄道からウラジオストックまで向かい、そこから船で福井県敦賀に向かう為に日本国のトランジット・ビザを入手する為に日本国総領事館に押し寄せるのであった。

 

今では簡単に記念館内で押せる、日本帝国領事館のスタンプ。

 

普段は旅行で訪れる場所ではこういった記念スタンプは押さないけど、試しに押してみた。

 

こちらはこの場所に赴任してきた杉原千畝氏の写真などが並ぶ。当時のカウナスには殆ど日本人が居なくて、珍しくて逆に取材などもあったそうだ。

 

こちらの写真は右から、杉原千畝氏の奥さん・幸子氏の妹、杉原千畝氏本人、そして次男:千暁、長男:弘樹、左端は彼の奥さんである幸子さん。ちなみに杉原千畝氏は最初に結婚した別の奥さんが居たけど、離婚していた。彼はユダヤ系ロシア人のクラウディアという女性と最初に結婚したという事実は、あまり語られない。

 

こちらは94歳まで生きて『六千人の命のビザ』を出版した、杉原千畝氏の妻幸子さん。その原作になった映画で最新の唐沢寿明主演の『杉原千畝 スギハラチウネ』では描かれていなかったけど、加藤剛主演の『命のビザ』では秋吉久美子演じる、妻の幸子さんが戦争に巻き込まれるシーンがある。同じ杉原千畝氏を描いた映画だけど、それぞれに違う視点から捉えているので出来れば両方とも見ておいた方がいいと思う。

 

幸子さんとの間に4人の男の子を授かるが、3男は7歳の時に白血病を患い他界する事となる。。

 

教師になりたかった杉原千畝氏は父親の希望であった医師の試験を受けたものの、故意に試験に落ちたという。

 

そんな杉原千畝氏の歴史が記されているパネルを見て勉強していたが、隣の部屋に入るとそんな彼の足跡よりもお土産物に興味深々な奥様方の様子が見られる。

 

こちらの段ボールに山積みとなっているので、琥珀入りの石鹸だという。こちらがここの人気商品なんだとか。。

 

こちらがそんな琥珀入りの石鹸。事前に聞いていた添乗員さんの話では「お肌がスベスベになります!」と言っていたけど、あまりそういう話は信用しない。。

 

この記念館内のお土産物販売コーナーでは日本円も使える。右から石鹸は小・中・大と並んでいて、それぞれに良い値段がしている。

 

こちらには当時のカウナスやリトアニアの置かれていた状況を解説した本が置かれている。左側はリトアニア語・英語・日本語とそれぞれの言語に訳されていて、お土産よりも歴史に興味のあるボクはこちらの本を購入。ただしツアー参加者さんでこの本を購入している人は他に居なかった。。

 

こちらは胸に旧日本総領事館のハンコのマークが入ったTシャツ。25€なり。

 

そしてこちらが「杉チョコ」と添乗員さんから聞いていた、ここでも人気の商品みたい。手前のお皿にはそんな杉チョコが一杯置かれていて、好き放題に試食できる。

 

なんでこんな記念館でもチョコが売っているのかと思っていたけど、この記念館は寄付金で賄っているのでこういったお土産関連からの収入も大事な運営費用となるみたい。

なので遠慮せず、ここではお土産を買ってあげましょう!

 

そんなお土産ルームの片隅に、唐沢寿明と小雪が出演した映画『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015年)の撮影時の記念写真が飾られていた。そしてその写真をよ~~く見てみると左端に見た顔を発見。何と本日ここに来ていた、現地ガイドのお兄さんでした。

 

そしてこの部屋が杉原千畝氏の執務室跡。壁に大日本帝国の旗が飾られている。

 

そしてここで記念撮影するも、手に持っていたスタンプと思っていたのはよ~~く考えるとスタンプでは無かった・・・。

 

杉原千畝氏は敏腕外交官でもあったので、ナチスドイツにも目を付けられていた。ナチスドイツのゲシュタポ(秘密警察)にも何度も尾行されて、業務を妨害されそうになった事も度々あったという。

 

こちらの募金箱には手前に1万円札や五千円札がキチンと見えるように置かれていた。これを見たツアー参加者さんからは「わざと大きなお札が見えるように、手前に置かれているんだね!」と言っていた。

 

こちらのノートにはここを訪れた人達のメッセージや名前・住所などが記されていた。杉原千畝氏の功績というものは、実際にリトアニアに来てみないと中々触れる機会がないので感慨深いようで感動したという人が多いようだ。

 

窓辺にはユダヤ人の燭台のライトが飾られていた。杉原千畝氏はユダヤ教徒ではなく、ロシア正教を信仰していたという。

 

左からイスラエル、日本、リトアニア、オランダの国旗が並ぶ。杉原千畝氏の功績と並んで、その前にオランダ領キュラソー行きのビザを発行していたオランダ総領事の功績に因んでオランダ国旗が置かれているのである。

そんな旅はまた次回に続きます!

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