【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】6日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
キリストが息絶えた場所
イスラエルのエルサレムにて旧市街地内にある、イエス・キリストが死刑執行までの苦行を歩いた道として今は巡礼道になっている「ヴィア・ドロローサ」も遂に終焉の地にやってきました。
ここはイエス・キリストが最終的に十字架に磔にされて処刑された場所とされている「ゴルゴタの丘」があった所。ただしエルサレムの街は紀元70年頃にローマ軍の攻撃により壊滅した為に、ゴルゴタの丘やヴィア・ドロローサなどはほぼ当時の原形が無くなったとされている。だから現在見ている場所などは”おおよそ”この場所付近にあったのだろうという推測の元に考えられているのである。
ちなみにこちらの絵はユダヤの族長アブラハムが神への生贄として、息子のイサクを殺そうとしたシーンを描いている。
激動のユダヤ人の歴史。エルサレムの歴史を勉強すると、ユダヤ人の歴史も一緒に勉強できる。エルサレムの街はユダヤ人の象徴的存在でもある。
第11ステーション
十字架を運んできたイエス・キリストはこの地ゴルゴタの丘で十字架に磔にされる。奥にある絵のようにこの場所で両手に釘を打ち付けられたとされる。
⑪【イエス、十字架に釘付けにされる】
聖墳墓教会2階の景色 動画
キリストの十字架磔の絵。手の平の真ん中に釘を打たれる。ただこの描写はあくまで抽象的で現実的には手の平だけに釘を打つと、十字架を起こして磔にした時に体の体重を支え切れなくて手の平が裂けてしまうらしく、実際には手首などにも釘が打たれたとされている。
「十字架の磔ですぐに死ぬの?!」と思っていたが、足場が無い十字架磔の場合だとまず重たい体重を支える両肩が脱臼し、胸に負担が掛かり横隔膜の活動が制限され呼吸困難になる。それにより血中酸素が低下し、全身の筋肉は疲弊し肺水腫を起こし、さらに酸素不足に陥り心筋の活動が困難になり、呼吸停止し絶命に至るという。。
このエリアもローマ・カトリック教会やギリシャ正教などで明確な境界線自体はないけど、それぞれに分けられている。元々は同じハズのキリスト教も派閥が違えば、新たな争いの種にしかならないようである。
第12ステーション
この2階の中央部分に進むとイエス・キリストが十字架に磔された絵が見えてくる。これまで幾多の十字架に磔された絵や像を見てきたが、実際にその場所とされている所に足を運んでみると今まで見てきたものとはまた違った感覚で見てしまう磔像。
⑫【イエス、十字架上で息を引き取る】
第13ステーション
そのイエス・キリストの磔場所の手前にある、我が子イエス・キリストの死を嘆かむ聖母マリア。親にとって一番ツラい事は自分の子供の死を見守る事だとよく耳にする。その為、一番の親孝行は”親よりも長生きする事”とも言われる。
なお第13ステーションはこの聖母マリアの前は、下にあるさっきちょっとだけ見た、亡くなったキリストが横たえられて油を塗られた石であったという。
⑬【イエス、十字架から降ろされる】
その十字架の前に祀られている場所は、イエス・キリストが磔にされた十字架が刺さっていた穴だという。ここは巡礼者が必ず覗く場所でもあるので、順番待ちの行列が出来ている。
その横にはゴルゴタの丘当時の地面跡が展示されている。この裂け目はイエス・キリストが亡くなった時に地震が起きて、地面が裂けた跡だと言われている。
世界人口の約1/3の人々が信仰していると言われるキリスト教。宗教として誕生した2000年前とは違って、現代は科学が発達し地球と人類は神様が造ったのではなく、自然と生物の進化で発展してきたのが証明されている。キリスト教の学校ではダーウィンの進化論を教えると罰則になるそうだ。しかし現代に生きる若者たちはそういった科学を知っているので、眉唾的なキリスト教からの宗教離れが多いという。
先程の祭壇の下には、このようにプレートが嵌め込んである。この穴がイエス・キリストが磔にされた十字架が刺さっていたとされる穴である。
とりあえずその穴に手を突っ込んでみて、穴を覗いてみるが真っ暗で何も見えない・・・。ここは長蛇の列が出来ているので長居していると係員が寄って来て「さっさと行け!」的な感じで誘導される。。
当時エルサレムの街では常識だったユダヤ教を否定して、自分の考えを説いていたイエス・キリスト。そんな彼が意外と多くの信者を作り、その存在を恐れたユダヤ人が彼を抹殺する事を企てる。
そんなイエス・キリストの存在は現代では世界人口の3人に1人が彼のキリスト教信者であるという事実から見ても偉大である。その一役を買ったのはローマ帝国が公に国の宗教として、キリスト教を認めた事だ。その時代のローマ皇帝コンスタンティヌスの母親であるヘレナが降臨教会やこの聖墳墓教会も建てたのである。
ここに来るまでキリスト教なんて全然興味がなく、自分には関係ないものと思っていたけど、実際に来てみるとやっぱりそれに対しての知識欲というか、興味が出てくるものだ。
第13ステーションにもあったように、十字架から降ろされるイエス・キリストを抱きしめる聖母マリアの絵が壁に描かれている。
キリスト教の聖地である聖墳墓教会。後ろ姿が見える、今回のツアー男性最年少のお兄ちゃんはここで何を思っていたのだろうか?!地球の歩き方に載っていたクラフトビールの美味しいバーに行く事しか眼中になかったかもね?!
次は下に降りて行きます。
アダムの教会にて
こちらは先程イエス・キリストが十字架に磔にされた場所の真下。ここの部屋の先にあるガラス張りになっている所から、ゴルゴタの丘だった岩が見れるとの事。
人類の祖先アダムの頭蓋骨がこの場所に埋められており、キリストの流した血がアダムの骨に滴り、罪を清めたと解釈されている。
ゴルゴタの丘は「しゃれこうべ(骸骨)」という意味があるようで、墓場だったようだ。
「辺りにはゴロゴロと骸骨が散らばっているかも?!」と言われて、必死でガラス板の奥を覗き込む人達。。
ちなみにこの聖墳墓教会の正門の鍵の管理は、イスラム教徒によってされている。というのもこの聖墳墓教会は6つのキリスト教会派閥が争い合う場所で、管轄外を掃除するだけでも揉め事に発展するという。争いを無くすための宗教も、皮肉にも争いを増やす事に繋がっているのである。。
アダムの教会の景色 動画
その教会の入口付近にあった、この長椅子のようなものは実は十字軍隊長の棺だという話もあるようで、さっきまで座っていた人達もその話を聞くと一斉に立ち去りました・・・。
でも人と反対の道を行くボクは敢えてその場所に座って記念撮影を行うのであります。
エルサレムでも一番の観光名所だけあって、世界各国から訪れる観光客でごった返す聖墳墓教会。
色々なコーナーがあり過ぎて、何が何だか分からなくなるし、あっちこっちと写真を撮っているとみんなに置いていかれて観光客だらけのこの場所で迷子にならないように注意しながら・・・と結構忙しいのである。。
続いてまた地下に進んで行きます。
聖ヘレナ教会にて
ここはローマ皇帝コンスタンティヌスの母親であるヘレナの教会。彼女は聖人として認定されていて、キリスト教を全世界に知らしめた立役者でもあります。そんな彼女の功績を讃えて造られた教会なのです。
さっき聖墳墓教会の屋根で見たドーム型のポッコリした建物がこの聖ヘレナ教会の屋根だったみたい。
↓ これですね!
聖ヘレナ教会の景色 動画
足元には巨大なモザイク画が残されている。ローマ帝国を象徴するモザイク画である。
ドーム型の屋根には窓から入った太陽光で明るく見えている。
キリストの十字架を発見した場所を記念して、聖ヘレナ教会が建てられている。実は7世紀にペルシャに攻撃され、聖墳墓教会は破壊されて聖十字架はペルシャに持ち去られてしまう。しかし15年後に当時のビザンチン帝国が何とか奪い返したという。
その横にある、大きな縦穴にも見える階段を降りて行きます。これが4世紀にヘレナが探し当てた縦穴のようです。
下に降りると十字架を抱きしめる、聖ヘレナ像が待ち構えています。
”神のお告げ”なのか、夢でこの縦穴の中にある十字架を発見したヘレナ。実際にその場所を訪れて、縦穴を降りてみると3つの十字架が置かれていたそうだ。ちなみにイエス・キリストが処刑された時、一緒に他に2人同時に処刑されていた。だからその分も合わせて3本の十字架なのである。
こちらの台でオバサンが床に顔を擦り付けて、キスをしていた。こういう光景を見ていると、この台はあまり衛生的ではないように感じてしまう。。
この場所がヘレナが十字架を発見した場所とされている。ちなみにその3本の十字架からどうやってイエス・キリストが磔にされた十字架を調べたかというと、瀕死の重傷患者にその3本の十字架を触らせたそうだ。すると3本目の十字架に触れると、その重症患者はみるみる元気になったという・・・。古代の人には信じる者は救われるではないが、現代人にとってはなんとも胡散臭い話にしか聞こえない・・・。
ここの空間は何も無かったけど、場所的に何かが置かれていたのかもしれない。ひょっとしたら聖十字架が飾られていた場所なのかもしれない。
聖ヘレナ教会の天井にはキレイな色で描かれたイエス・キリストの絵があった。
キリストの象徴といえば、この十字架マーク。肝心の聖十字架は分割され、断片は各地に持ち帰られて散り散りになっているそうだ。
聖墳墓教会は見所たっぷりの場所である。
階段の壁には数え切れないほどの十字架マークが刻み込まれている。さすがにここに自分の名前を落書きする不届き物はいないようだ。。
同時に3人が磔で処刑された絵がある。他の2人はデュスマスとゲスタスという名前だったそうだ。
この聖墳墓教会も破壊されて再建されてを繰り返しているので、古い部分はビザンチン時代の建築箇所もわずかに残っているようだ。
破壊と再建を繰り返す、まさに人類の歴史が凝縮されたような場所である。
こちらの岩には残念ながら落書きが多数書かれている。どこの国でもどこの場所でもこういった不届きな行いをする者は後を絶たないようだ。
そしてちょっとこの辺りでトイレ休憩タイム。その間に近くにある教会のような場所に向かう。
現地ガイドさんが案内しない場所なので、特段解説のいらない場所なのであろう。
床には双竜の鷲の紋章が描かれている。古代ローマ帝国の象徴ともなっていた双竜の鷲マーク。
まだまだ聖墳墓教会の探索は続くのであります。
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