イタリア周遊10日間 ひとり旅ツアー(阪急交通社)口コミ旅行記-6日目
ポンペイ観光
ポンペイ遺跡を見学
背の高い木が出迎えてくれています。いいお天気になってきました。
すると何やら建物に入っていきます。
その先に待ち受けるものは・・?
剣闘士の練習場&宿舎
デデ~~ン!と遺跡が広がっています。これが2000年前まで人々が暮らしていて、突然の火山噴火により消滅してしまった街跡。
ここは当時の剣闘士(グラディエーター)達が訓練をしたり、住んでいた場所。
ここの広々とした空き地で黙々と剣闘士が訓練をしていたそうな。「喰うか喰われるか」の命を懸けた闘い。生き残るためには勝つしかない!
今となっては青空と緑色の濃い木々と芝生がキレイな場所。2000年前の様子など想像も付かない。
この柱も2000年前のまんま。火山灰に埋もれていたままの姿。
火砕流が襲った時に高温になり、付近の木造部分は全て焼失している。木で出来ている部分は後から付け足したものだ。
こちらの建物内には部屋が数室ある。
この部屋の中で剣闘士が生活をしていたそうだ。
今の部屋の中は荷物が置かれている。剣闘士といっても映画「グラディエーター」のようにほぼ奴隷のような存在で生きる為に闘わざるを得なかった境遇にあったのだ。
そんな剣闘士が命を懸けて練習していたと思うと、なんだか虚しくなりそうな場所。
ここはまだ入口。奥に進むとまだまだ遺跡がある。ちなみに世界遺産になっているのはポンペイだけではなく、周辺の2つの街を含めた3つの街が登録されている。
剣闘士が練習中に上手くいかなかった時に八つ当たりをした??柱。
さっきこの建物に入ってきた付近を別の場所から眺める。ほんと緑がキレイ。
ポンペイ遺跡の剣闘士練習場 動画
次はこの建物の横に進んでいきます。
トンネルをくぐって進みます。
小劇場
半円形の小さな階段がある場所が出てきます。
こちらは小さい劇場跡。階段の上から見下ろして、見世物を見ていたようです。
こういう建物の形が一番見世物を見やすいのだろう。そう思いながら「片足立ちポーズ」の男。
その小劇場跡で楽しくはしゃぐ男と座って携帯をいじくるオジサン。こちらのオジサンは東京方面から参加していて現役弁護士の方で、中々面白い人でした。iPhoneの一番大きい容量サイズの機種でずっと動画を撮影してました。後で見返すのが大変だろうと思ったけど。
そして次に向かいます。
アッボンダンツァ通り
ポンペイのメインストリートであったであろう「アッボンダンツァ通り」。
その道の脇では人々が住んでいたと思われる家の跡が残っている。
道はもちろん石畳。馬車がよく走っていたのだろう。その跡は擦り減っていて、わだちが出来ている。
当時は狭い家に沢山の人が住んでいたみたい。今みたいに家具もないし、家は寝るだけだったのかな。
この石畳の道を進んでいきます。
その道の途中に石が三つ置かれています。これは横断歩道のようなもので馬車の車輪を上手い事よけて、設置されているようです。
このように石に乗って、道を渡っていたのでしょう。”馬車が沢山走っていた”と”石の上を渡る”という事はこの道は馬糞だらけだったのかな。。
「横断歩道は手を上げて渡りましょう」を実践するオジサン。
1人だけ真面目に手を挙げて、溶断歩道を渡るオジサン。「安全第一!」
他の人が遊び心がないだけなのか、このオジサンが遊び心あるだけなのか?
石垣部分だけ残っているが、当時は屋根もあったハズ。高温の火砕流で燃え尽きてしまったのだろう。
所々に柵があり、中には入れません。この辺は料理屋さんか今でいうバルのあっただろう場所。ワイン産地でもあったポンペイ。
なんとも大きいメガネが良く似合う現地ガイドの「イディアーナ」さん。日本語の上手な方でした。
この穴に食べ物を入れて販売していたそうだ。
石を積み重ねた建物。歴史を感じる。日本には大昔の建物があまり残っていない為に、ヨーロッパの古い建物を見ると感慨深い。
こういう所で人々は暮らしていたのだろう。「ウォシュレットがないと生きていけない!」という現代人は過去にはもう戻れない。贅沢な時代になったものだと痛感する。
勿論遺跡内はもう馬車は走っていません。轢かれる心配は不要です。
道の遠く向こうの方にベスビオス火山がチラリと見える。あの火山が噴火し、時速100kmともいわれる速度で火砕流がこの街に押し寄せてきたそうだ。ベスビオス火山まで約16km程の距離で噴火して火砕流が飛び出してきて10分程でこの街に到達したと考えられる。まさに一瞬の判断が生死を分けるのである。
これだけ遠く離れていたら大丈夫からと思ってしまうが、火山の噴火ってそれほど恐ろしいものなのだ。
これだけの大きな街も大量の火山灰が降ってきたら、ひとたまりもない。
パン工房のあった場所
奥にかまどがあります。ここはパン屋さんの跡。昔はそんなに沢山の種類の食べ物もなかったのだろう。そんな当時からパンは人気の食べ物だったようだ。
思っていた以上に広いポンペイ遺跡。
この続きはまた次回に!
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