行ってきたイタリア旅行記-38-ポンペイ編 (阪急交通社ひとり旅ツアー)


イタリア周遊10日間 ひとり旅ツアー(阪急交通社)口コミ旅行記-6日目

ポンペイ観光

ポンペイ遺跡の入口から入った所3
現地ガイドさんを先頭にポンペイ遺跡内を進みます。

ポンペイ遺跡を見学

ポンペイ遺跡の入口から入った所4

背の高い木が出迎えてくれています。いいお天気になってきました。

ポンペイ遺跡の入場してからすぐの遺跡

すると何やら建物に入っていきます。

ポンペイ遺跡の入場してからすぐの遺跡2

その先に待ち受けるものは・・?

剣闘士の練習場&宿舎

ポンペイ遺跡の入場してからすぐの遺跡3

デデ~~ン!と遺跡が広がっています。これが2000年前まで人々が暮らしていて、突然の火山噴火により消滅してしまった街跡。

ポンペイ遺跡の入場してからすぐの遺跡4

ここは当時の剣闘士(グラディエーター)達が訓練をしたり、住んでいた場所。

ポンペイ遺跡の入場してからすぐの遺跡5

ここの広々とした空き地で黙々と剣闘士が訓練をしていたそうな。「喰うか喰われるか」の命を懸けた闘い。生き残るためには勝つしかない!

ポンペイ遺跡の入場してからすぐの遺跡6

今となっては青空と緑色の濃い木々と芝生がキレイな場所。2000年前の様子など想像も付かない。

ポンペイ遺跡にあった柱の様子1

この柱も2000年前のまんま。火山灰に埋もれていたままの姿。

ポンペイ遺跡にあった柱の様子2

火砕流が襲った時に高温になり、付近の木造部分は全て焼失している。木で出来ている部分は後から付け足したものだ。

ポンペイ遺跡にあった柱の様子3

こちらの建物内には部屋が数室ある。

ポンペイ遺跡にあった倉庫の様子

この部屋の中で剣闘士が生活をしていたそうだ。

ポンペイ遺跡にあった倉庫の様子2

今の部屋の中は荷物が置かれている。剣闘士といっても映画「グラディエーター」のようにほぼ奴隷のような存在で生きる為に闘わざるを得なかった境遇にあったのだ。

ポンペイ遺跡の様子

そんな剣闘士が命を懸けて練習していたと思うと、なんだか虚しくなりそうな場所。

ポンペイ遺跡を進みます

ここはまだ入口。奥に進むとまだまだ遺跡がある。ちなみに世界遺産になっているのはポンペイだけではなく、周辺の2つの街を含めた3つの街が登録されている。

ポンペイ遺跡の柱のアップ写真

剣闘士が練習中に上手くいかなかった時に八つ当たりをした??柱。

ポンペイ遺跡の緑はキレイ

さっきこの建物に入ってきた付近を別の場所から眺める。ほんと緑がキレイ。

ポンペイ遺跡の剣闘士練習場 動画

ポンペイ遺跡で次に向かいます

次はこの建物の横に進んでいきます。

ポンペイ遺跡で次に向かいます2

トンネルをくぐって進みます。

小劇場

ポンペイ遺跡の小劇場

半円形の小さな階段がある場所が出てきます。

ポンペイ遺跡の小劇場3

こちらは小さい劇場跡。階段の上から見下ろして、見世物を見ていたようです。

ポンペイ遺跡の小劇場4

こういう建物の形が一番見世物を見やすいのだろう。そう思いながら「片足立ちポーズ」の男。

ポンペイ遺跡の小劇場ではしゃぐ男

その小劇場跡で楽しくはしゃぐ男と座って携帯をいじくるオジサン。こちらのオジサンは東京方面から参加していて現役弁護士の方で、中々面白い人でした。iPhoneの一番大きい容量サイズの機種でずっと動画を撮影してました。後で見返すのが大変だろうと思ったけど。

ポンペイ遺跡の小劇場を後にする

そして次に向かいます。

アッボンダンツァ通り

ポンペイ遺跡のアッボンダンツァ通り

ポンペイのメインストリートであったであろう「アッボンダンツァ通り」

ポンペイ遺跡のアッボンダンツァ通り2

その道の脇では人々が住んでいたと思われる家の跡が残っている。

ポンペイ遺跡のアッボンダンツァ通り3

道はもちろん石畳。馬車がよく走っていたのだろう。その跡は擦り減っていて、わだちが出来ている。

ポンペイ遺跡のアッボンダンツァ通り4

当時は狭い家に沢山の人が住んでいたみたい。今みたいに家具もないし、家は寝るだけだったのかな。

この石畳の道を進んでいきます。

ポンペイ遺跡の道の石

その道の途中に石が三つ置かれています。これは横断歩道のようなもので馬車の車輪を上手い事よけて、設置されているようです。

ポンペイ遺跡の道の石を渡る

このように石に乗って、道を渡っていたのでしょう。”馬車が沢山走っていた”と”石の上を渡る”という事はこの道は馬糞だらけだったのかな。。

ポンペイ遺跡の道の石を渡る2

「横断歩道は手を上げて渡りましょう」を実践するオジサン。

ポンペイ遺跡の道の石を手を挙げて渡る

1人だけ真面目に手を挙げて、溶断歩道を渡るオジサン。「安全第一!」

ポンペイ遺跡の道の石を手を挙げて渡る2

他の人が遊び心がないだけなのか、このオジサンが遊び心あるだけなのか?

ポンペイ遺の家の跡を見学

石垣部分だけ残っているが、当時は屋根もあったハズ。高温の火砕流で燃え尽きてしまったのだろう。

ポンペイ遺の家の跡を見学2

所々に柵があり、中には入れません。この辺は料理屋さんか今でいうバルのあっただろう場所。ワイン産地でもあったポンペイ。

ポンペイ遺の家の跡を見学3

なんとも大きいメガネが良く似合う現地ガイドの「イディアーナ」さん。日本語の上手な方でした。

ポンペイ遺の家の跡を見学4

この穴に食べ物を入れて販売していたそうだ。

ポンペイ遺の家の跡を見学5

石を積み重ねた建物。歴史を感じる。日本には大昔の建物があまり残っていない為に、ヨーロッパの古い建物を見ると感慨深い。

ポンペイ遺の家の跡を見学6

こういう所で人々は暮らしていたのだろう。「ウォシュレットがないと生きていけない!」という現代人は過去にはもう戻れない。贅沢な時代になったものだと痛感する。

ポンペイ遺跡を更に進む

勿論遺跡内はもう馬車は走っていません。轢かれる心配は不要です。

ポンペイ遺跡の道から見た風景

道の遠く向こうの方にベスビオス火山がチラリと見える。あの火山が噴火し、時速100kmともいわれる速度で火砕流がこの街に押し寄せてきたそうだ。ベスビオス火山まで約16km程の距離で噴火して火砕流が飛び出してきて10分程でこの街に到達したと考えられる。まさに一瞬の判断が生死を分けるのである。

ポンペイ遺跡の道から見た風景2

これだけ遠く離れていたら大丈夫からと思ってしまうが、火山の噴火ってそれほど恐ろしいものなのだ。

ポンペイ遺跡の道から見た風景3

これだけの大きな街も大量の火山灰が降ってきたら、ひとたまりもない。

パン工房のあった場所

ポンペイ遺跡内にあるパン屋さんの跡

奥にかまどがあります。ここはパン屋さんの跡。昔はそんなに沢山の種類の食べ物もなかったのだろう。そんな当時からパンは人気の食べ物だったようだ。

ポンペイ遺跡の道から見たベスビオス火山

思っていた以上に広いポンペイ遺跡。

この続きはまた次回に!

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