ポルトガル旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
人類は山手がお好き
ツアー4日目はポルトガルの中部に位置する、昔にポルトガル王国の首都でもあったコインブラの街に来ています。創立が1290年と、ポルトガルで最古の大学であるコインブラ大学でも昔使われていた旧大学構内の見学中です。
コインブラの旧大学にて
ポルトガル王国が誕生した1139年から1255年までの間、首都が置かれていたコインブラの街。その首都がコインブラに置かれていた時代に王宮として使われていたこの建物。
王宮が置かれていた、そんな重要な場所だったコインブラに大学を設置したのである。
この写真はモンデゴ川対岸から撮った、コインブラの山手:アルタ地区。今は真ん中上に見える塔の右辺りに居ます。
ここから上は有料ゾーンみたいなので、これ以上は進めなかった。
17世紀頃のアズレージョは青いものが多かったけど、こういった黄色が混ざっているアズレージョの方が好みではある。この階段までは無料で見れるので、とりあえずここで写真撮影だけしておく事に。
じっくりとその国を観光するのではなく周遊がメインのパックツアーなので、一つの場所をゆっくりと味わうのではなく世界遺産を駆け足で出来るだけ一杯訪れるという趣旨なので、全部を見きれないのは仕方ない事。
これ以上は進めないという事で、諦めて戻るツアー参加者さん一同。。
無いと思っていたけど、ここに世界遺産のマークが入った真鍮が嵌め込まれていた。
このコインブラ大学は、2013年に文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されたのである。
そしてアズレージョが張られている建物の中に進んで行きます。この先は無料なゾーンだとか。
そんな奥には学生食堂があります。ただポルトガルの大学生はマントを着用しているっていう話を聞いてたけど、別にみんな普通の服装だったけども・・・。
学生食堂の近くにあった売店にも立ち寄る。入口直ぐには記念撮影用の椅子が置かれている。その椅子の背景の写真は、1724年頃に建てられたジョアニナ図書館内の一番メインの場所です。今でも現役の図書館ではあるが、メインの場所は写真撮影が禁止になっているのでここでそれっぽい記念写真を撮れるようになっていたみたい。
ちなみにこのジョアニナ図書館では約20万冊もの蔵書があり、害虫である昆虫からの被害を防ぐ為になんとここではコウモリを飼ってその昆虫を駆除させているという。
大学だけに、よく使う大事な鉛筆。
これだけ長かったらタップリと使えると思うけど、これって鉛筆なのかな??
さて日程が色々と詰まっているので、お買い物タイムとして10分程与えられます。
元王宮跡の「ラテン回廊」と今では名付けられている建物の階段部分で、写真を撮る子供達。
こちらは「時計の塔」と呼ばれている、約34mの塔。塔の上で風に揺られるポルトガル国旗が、このコインブラで一番高い場所・・・だと思う。
特に買いたい物も無いし・・・という事で、コインブラ旧大学のドアが開いている場所の中に顔を突っ込んでみたけど、特に見るものもなかった。。
どうしてもここの観光はコインブラ大学の観光って事がメインになっているけど、実際にはポルトガル王国初代の首都を観光した事にもなるのである。この建物もコインブラ旧大学のラテン回廊って言わずに、「ポルトガル王国初代首都コインブラの旧王宮跡」って説明してもいいと思うんだけども。
そんな場所で記念撮影する”メルハバおっちゃん”。去年夏に訪れたトルコ旅行時に、同じツアーに参加していたオジサンである。今回は申し合わせて参加した訳ではなく、それぞれに申し込んで結果的に同じツアーに申し込んでいた。阪急交通社に知り合い同士でもいいかと事前に確認したら、それについては問題はないという事でこの1人参加限定旅に参加したのである。
という事で簡単にコインブラ旧大学の見学を終わります。有料ゾーンのジョアニナ図書館や帽子の間と呼ばれる部屋に入らないとこんなもんみたいですね・・・。
ポルトガル王国もその後激動の時代を長い事送る事になるが、そのポルトガルの歴史を見続けてきたコインブラ大学。
するとさっき道を聞いた像が目の前に立っていたので、再びこの後はどうしたらいいのかを聞くと「この高台はアルタ地区と呼ばれる場所で、お次はこの下手にあるソフィア地区に行かれるのがよろしいかと。」と言ったような感じが。。
この辺りに停まっていた車にはこのように魚の絵がペイントされていた。ポルトガルは大西洋に面しているので、様々な魚介類を昔からよく食べてきた。そんな中でも特に名物なのが”バカリャウ”で、タラの身を塩漬けして乾燥したもの。
残念ながらマントを着た姿の大学生を見る事は出来なかった・・・。
ソフィア地区に降りて行く
そしてコインブラ大学の見学を終えた後は、こちら大学横の階段を降りていきます。
この辺りはポルトガルの元々首都でもあったので、特に歴史がある場所でもある。
ただその先の坂道を降りていくと、そんな歴史ある地域とは思えない風景が見えているが。。
どうしてもベランダが無い部屋では、このように窓から洗濯物を干さざるを得ないんだろうけども。。
地面は舗装されてなく、石畳っぽいような道。
すると左手に大きな教会のようなものが見えてきます。
この歴史ある地域であるにも関わらず、ここの階段はこのように落書きばかりでしたね・・・。
ソフィア地区の旧大聖堂にて
こちらの建物は「コインブラ旧大聖堂(Sé Velha – Coimbra)」で、12世紀にポルトガル王国を作った初代国王アフォンソ1世が造らせたもの。
元々はロマネスク様式で建てられた大聖堂だけど、16世紀に改修されてルネッサンス様式になっている部分もあるようだ。この中央辺りの白っぽい壁周辺がルネッサンス様式なのかな?
この旧市街地というべきエリアはとても落ち着いているというか、あまり人が居なくて静かな住宅街のよう。
そんなエリアの中にもチラホラとお土産屋さんもある。
色んな陶器が置かれていたけど、やっぱり白地に青色の組み合わせが一番きれいに見える。
白と青の組み合わせは、この地球上で一番のコンビかもしれないね!
ふと横を見るとコインブラ旧大聖堂の全景をカメラに収める為に、隣までやって来ていた”メルハバおっちゃん”。
実は普段何をしている人であるか? それと昔は何をしていた人なのか?とか、既婚者かどうか?とかは全然知らないのであるが。。
ヨーロッパの昔の建物で、バロック様式やゴシック様式と言われても建築に興味が無いので実は全然分からないのです・・・。でも今はネットで色んな情報が調べられるので、それで調べてみたらロマネスク様式は10~12世紀頃に建てられたものが多く、重厚な壁や小さな窓や半円形アーチなどが特徴的だという。だからそれでいくと、この茶色部分がロマネスク様式に該当すると思うのだが・・・。
結構雑貨店とかで、色んな可愛い雑貨品とかを見るのが好きなボク。
ただしパッパッと見ずにジ~~ッと見ていくので、結構お店での滞在時間が長めになってしまうのである。。
柄モンのお皿は今まで見た中では、トルコで売られていたお皿のデザインが一番好き。だけど今までにお皿は一切自分用に購入した事はないんだけどね。。
10~12世紀に建てられたものがロマネスク様式の全盛期だったので、ちょっと荘厳なデザイン性はなく”質実剛健”といったイメージなんだろう。当時は戦争も多かったので、どちらかというと教会というよりかは砦やお城っぽいような造りのロマネスク様式。
今向かっているのはソフィア地区といって、このコインブラの街でも下手にあるので右側の階段を降りていきます。
青い窓枠や扉を見ると、イスラムの国の街並みを思い出す。レコンキスタ(キリスト教徒による国土回復運動)の前までは、イスラム勢力に支配されていた、このイベリア半島。ただしキリスト教徒に追い出しをくらい、殆どのイスラム教徒は北アフリカや中東の方に逃げて行ったのである。
東ヨーロッパのスラブ文字とかはあまり読めないけど、ポルトガル語って何となくイメージが付きそうな文字のように感じる時もある。
というか英語も全然喋れないボクが、偉そうに言うのもなんだけどね・・・orz
この辺りは階段が連続している場所、ちょっと高齢者の方々には住みにくい場所かもしれない。
ポルトガルの代表的なお土産は、やっぱりこのような柄のアズレージョ柄だと思う。イスラムの国であるようなブルー色の製品とは、また違った味があるように思う。
こんな坂道だらけで道も舗装された所にも、木が生えているのが見える。
コインブラでもファドを演奏するお店があるが、それはリスボンとかで聞けるファドとはちょっと違うみたい。リスボンのファドは航海に出ていった夫に残されて寂しい心情を女性が歌ったもの。ここコインブラは男子学生が好きな女性の為に、自分の心の内を伝える為に歌ったものだそうだ。
そんな旧市街地の辺りに、サンダルを脱いで大きな壺を抱えたお姉さんの像が置かれていた。昔は近くにあるモンデゴ川で洗濯を行っていたようで、その姿を再現したものかもしれない。
そんなお姉さんの像に、コインブラ旧市街の昔の面影を重ねる男?!
こんな旅はまた次回に続きます!
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