ポーランド旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–
意思の強い者は倒れない?!
ワルシャワのシェラトンホテルにて
ポーランドの首都ワルシャワに戻ってきました。初日にワルシャワに泊まった時のホテルはMercure Hotelで、とてもいいホテルだったけど今日はシェラトンホテルに泊まります。なかなか値段が安めのツアーでは、いいホテルに泊まる事はないのでちょっと楽しみです。
ホテルを入ったロビーにある丸型の椅子で、くつろぐツアー参加者さん達。
シェラトンホテルだからって、あまり期待する気持ちもなかったし、1泊で寝るだけだしね。もっと滞在するなら、その価値が分かるんだろうけど。
ロビーの左側はバーになっていて、奥にはテーブル席もあって結構広かった。
このバーのメニューを確認すると、シェラトンホテルの中で飲むビールとしてはそんなに高くなかった。ポーランドでポピュラーなビールが500mlで16ズローチ(約450円)と、お手頃価格だった。
シェラトンのお部屋は?
部屋には期待しないと言いながら、ドアを開ける瞬間は楽しみが広がる。
ただ安ツアーで泊まる安ホテルにはない”落ち着き”が感じられるような気がする。そんな落ち着きを与えてくれる間接照明が、優しい感じの雰囲気を創ってくれているのだなと感じる。普段なかなか間接照明のある部屋で泊まらないから、そういった事を感じてしまう。
1人で泊まる部屋にしては、充分過ぎる位の設備がある。1人だと、こんなソファーベッドなど使い余してしまうけど。。
バスタブもちゃんと付いていたけど、旅行先では浸かる事はあまりない。体の洗い場がバスタブ以外であればいいのだけど、湯を溜めたバスタブ内で体を洗うというのがどうも納得できないので。。
たまに部屋の写真を撮り忘れる時があるけど、これはホテルの部屋に入った時の恒例行事です。
トイレの端には体重計も置かれていました。翌朝朝食時にツアー参加者さん達の話を聞いていたら、この体重計で体重を測っていた人が結構いましたね。
部屋内にジャズとかのBGMが流れる雰囲気だともっといいと感じるので、最近の海外旅行では小さいスピーカーを持って行って部屋で音楽を流している。
クローゼットを見ると、アイロンセットやバスローブもあったりと最近泊まったホテルではあまりお目に掛かれないものがあった。でもバスローブも着慣れていないので、使わないんだけどね。
大きなホテルだったので、奥まで永遠と廊下が続いているようにも見えるような?!
ホテルの出た正面にはスーパーマーケットもある。朝早くから開いているらしいので、お買い物は明日の朝にする事に。
こちらは今日宿泊するシェラトンホテルの全景。結構大きく、全体を収める写真が撮りにくかった。立地的にはワルシャワ市内でもちょっと静かな場所で奥側には大きな公園がある。
夜の街、散策スタート!
こちらの銅像は「ヴィンツェンティ・ヴィトス」(Wincenty Witos)。1920年代にポーランド首相を3回も務めた事があるが、政敵だったヨゼフ・ピウスツキーにクーデターを起こされて辞任する事になる。
ホテルの前に見える、この道を真っ直ぐ右側に進むとワルシャワの旧市街地や王宮跡などがある、中心地に行けるのである。ちなみに左側に行けばその内クラクフに辿り着くという。
ヨーロッパの建物はライトアップされていて、とても綺麗だけど数多くのライトが使われていて照明代とか維持費がそこそこ掛かりそうな感じがする。
こんなメインの通り沿いにもピンク色のネオンを発見する。看板をよ~~く見てみると「ジェントルマン・クラブ」とある。
単にピンクネオンだった訳ではなく、ちゃんと理由のあるピンクネオンでしたね!
途中、道路の交差点に植わっていたこちらのヤシの木。実はこれは本物ではなく、造り物でイスラエルからの贈り物なんだとか。
こちらの像については詳しく変わらないけど、何かで戦って倒れた人みたい。過去の歴史を調べると、調べる程に色んな人達が志の為に戦い、死んでいったという事が分かる。
過去の色んな人達の命の上で、今我々が生きているのである。だから大事に毎日を生きる必要があるのだ!
ここが首都とは思えない位に、あまり多くの人は歩いていないけど道沿いには色んなお店が開いている。
こちらのお店は海外旅行していると、たまに見かける事のあるお店。お洒落というか、ちょっと奇抜なデザインの靴下を販売しているお店。「Happy Socks」という2008年に設立されたスウェーデン発のアパレルメーカー。
とてもカラフルなデザインで人気が出て、最近では色んな有名人とコラボレーションした商品も展開している。こちらはビートルズの「イエローサブマリン」という映画が公開された50周年記念でコラボした商品。
カラフルなデザインというけど、黄色を基調にして他社がまず選ばないような奇抜なデザインを製造しているようだ。所詮消耗品の靴下だけど、結構いい値段がして1セット2000円前後の商品が多い。でも21世紀は豊かな時代なのでデザイン性が優れているだけでも、それだけ購入してくれるのだろう。
この通りを歩いていると、寿司屋が目立つ。と言っても店の見た目の雰囲気は、日本の寿司屋とは全然違ってお洒落だけどね。
さっき寿司屋があったと思ったら、また別の寿司屋が見える。日本人としては漢字が見えると、自然と親しみを感じてしまう。
窓から店内を除くと、回転ずしのお店で寿司を載せたお皿が動いていたね。ただお客さんはあまり入っていなかったけども。。
そういえば海外でお寿司を食べた事は今まで一度もない。だからこのようなサーモンロールの寿司も食べた事がない。海外で食べるお寿司は日本の物とは別物なので、一度ぐらいは海外の寿司を食べた経験をしておいた方が話のネタにもなるしね。
一見スターバックスに見えない建物も、よ~~く見るとスターバックスだった。もう今の時代はどこにでもスターバックスがあって、あってというより在り過ぎて希少価値はないけども。。
この通りも反対側、後ろ方向に行けばショパンの像がある公園があり、定期的にそこでショパンの作曲した曲のコンサートをしているようだ。
道の反対側には、また別の寿司屋がある。ポーランドでは寿司は今大人気なのである。
その割に今回はあまり寿司キーホルダーを使えなかったけど・・・
こちらの建物はポーランド科学アカデミー。そんな大そうな建物の前に鎮座している銅像は、ポーランドで科学と言われて連想する人物である。
正解はポーランド人でありトルン人でもあり、地動説を唱えたポーランドが誇る科学者のコペルニクスである。
この通りはワルシャワでもメインの通りであるけど、人通りが多い通りではなく重要な建物が並んでいる通りである。
聖十字架教会前にて
こちらに見えるのは”ポーランドの英雄”であるショパンの心臓が、実際に保管されている聖十字架教会である。
そんなポーランドの英雄の魂が眠る教会の前には、重たい十字架を背負ったキリストの像が置かれている。
その銅像を別の角度から見てみる。キリストが死罪と決められ、エルサレムのヴィア・ドロローサで重たい十字架を担いだシーンだけど、実際には重たくてそれをず~~っと担いでいる体力もなかったので何回かこの十字架を落としたとされている。だからこんなポーズをしている余裕はなかったのかもしれない。
ポーランドから帰った後に映画『戦場のピアニスト』を観たら、こんなシーンがあった。このシーンで「あっ!ワルシャワのあの教会だ!」と気付けたのもポーランドを訪れたからである。
何回かヨーロッパに旅行に行き、色んな教会に行くと添乗員さんから「鍵を持っている人は~~」という話をよく聞く。キリスト教の教会でこのように”天国への鍵”を持っているのは聖ペトロで、初代ローマ教皇となった人物である。ポーランドでは英雄となっている、ポーランド人としては初めてローマ教皇に選出されたヨハネ・パウロ2世の大々々先輩なのである。
このキリスト像は片手で十字架を支えているけど、当時十字架の重量は約50~60kgもあったというのでとても片手でこのように支える事は出来なかったようだ。
こちらはワルシャワ大学の門。時間が遅いので閉まっているが、こちらもショパンが通っていた大学である。というよりショパンは大学に通ったというよりは、別の音楽院に通っていたがここの大学の音楽院と合併した為にここに通う事となったようだ。
首都ワルシャワでもそんな歴史的な場所であるにも関わらず、人通りは思った以上に少なかった。
こちらの教皇みたいな像は「ステファン・ウィジスキ」(Stefan Wyszyński)で、ローマ教皇にまではなれなかったけど枢機卿にまでなったポーランド人。
教皇にはなれなかったけど、この枢機卿になれるだけでも充分凄い事みたい。
夜のワルシャワの様子 動画
この辺りはワルシャワでも高級なホテルが建っている地区。こちらの「Hotel Raffles Europejski Warsaw」は五つ星で1泊2万円はする高級ホテル。
そんな高級ホテルの道を挟んで反対側にある、こちらのホテルも老舗の高級ホテルで「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」(Hotel Bristol, a Luxury Collection Hotel, Warsaw)。1901年に建てられたホテルで第二次世界大戦中にはナチスドイツの地区本部として使われた為に、周りはほぼ崩壊した建物だらけだったけど奇跡的にこのホテルだけはほぼ無傷で生き残ったという。
そんな高級ホテル街の周りには、このような写真スポットのようなオブジェが置かれていた。
そんな高級ホテルの横にあった公園には、このような銅像が設置されていた。「ボレスワフ・プルス」(Bolesław Prus)というポーランド人作家さん。彼は1863年に起こったロシア帝国に対しての蜂起にも参加した事もあり、ポーランドの文学と哲学に大きな影響を及ぼしたとされている。
こんな旅はまた次回に続きます。
↓↓↓↓ポーランド旅行記:初回↓↓
【コメント欄】