”芸術は爆発だ!” 岡本太郎の著書『自分の中に毒を持て』からビビッと来た生き様とは!?

画家の岡本太郎氏(1911~96)、その生き様を皆さんは知っていますか?

 

私は全然知りませんでした。岡本太郎と聞いて思い浮かべるのは・・・

『芸術は爆発だ!!』

という言葉。

 

岡本太郎 本 自分の中に毒を持て 名言

 

それに大阪府吹田市にある万博記念公園の 「太陽の搭」

岡本太郎 本 自分の中に毒を持て 名言

 

そして今は無き”近鉄バファローズ”のチームロゴの作者

岡本太郎 本 自分の中に毒を持て 名言

未だにこの時代のユニフォームが忘れられない・・・。

ちなみにこちらのデザインは1958年に近鉄監督に決まった千葉茂が友人の岡本太郎氏に依頼したもの。

 

そんな岡本太郎氏の著書とたまたま本屋さん(ジュンク堂)で出会った。本当はウォーレン・バフェットの自伝を探す為に文庫本コーナーを彷徨っていたのだが、この本を見て立ち止まってチラ見してみた。

 

その中で「出る杭になれ!」という言葉や彼の恋愛観を見て、とても惹かれてしまった。そしてそのまま購入し、読み易くもあるので一気読み!

今まで知らなかった岡本太郎氏の考えに、若輩ながらも自分の思想と同調できる節が多く、こんな”熱い”本がまだまだこの世に埋もれているのかと感激した。

 

岡本太郎 本 自分の中に毒を持て 名言

 

『自分の中に毒を持て』

著者:岡本太郎

2017年12月20日発行 書籍 (※1993年に同社より発行された文庫本の新装版)

A6サイズ (105×148mm)   重量139g

246ページ(目次8P,本文238P)

 

書評

筆者の岡本太郎氏は1911年生まれで18才で単身パリへ行き、29才で日本に戻り太平洋戦争では30代で従軍し中国の戦地に赴く。戦後は芸術に打ち込み1970年に太陽の搭を製作。1996年に死去。

年功序列の封建的な時代の日本社会で周りの平凡な人間に埋没せず”自分らしさ”を貫いた、そんな彼の”熱く””情熱”的な生き様を描いた内容。

 

「危険だ」という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。

『自分の中の毒を持て』P31より引用

普段頭をよぎる気持ち、それに素直に反応しているだろうか?心では”やるべき”と思っても、頭で考えると打算的に成功できる確率や失敗した時の事を想像し、それをしない事も多いのではないだろうか。

でも危険と感じる道には大きな刺激が待ち受けている。そして自分を成長させる事が出来るのはそういった刺激である。

 

たとえば、いま勤めている会社をやめたい、何か他にやることがあるんじゃないか、と考えている人は実に多い。だがそれは未知の道に踏み込むことだし、危険だ、と躊躇して迷いながら日を過ごしている。
現在のサラリーマンのほとんどはそういう悩みを、多かれ少なかれ持っていると思う。 内心では、もっと別な会社や別な道に進みたい希望を持っているんだが踏み切れない。身の安全、将来を考えて仕方なく現在の状況に順応している人が驚くほど多いのだ。
いつも言っていることだが、ただ自分で悩んでいたって駄目だ。くよくよしたってそれはすこしも発展しない悩みで、いつも堂々めぐりに終わってしまう。
だから決断を下すんだ。会社をやめて別のことをしたいのなら、あとはどうなるか、なんてことを考えないで、とにかく会社をやめるという自分の意志を貫くことだ

『自分の中に毒を持て』P32より引用

私も会社員時代に「この会社に居てもダメだ」と思うようになっていた。しかし簡単には辞めれなかった。ただ「見の安全・将来」を考えてではなく、そう言い出せない自分の弱さと「辞めないでくれ」という周りのプレッシャーもあった。

でも同じように感じる人間は多々いたが、「じゃ辞めれば?」と単刀直入に言うと「家族がいるので簡単に辞めれない」や「この年齢で次の仕事は見つけにくい」という理由で辞める事が出来ない人間ばかり。

「君には嫁や子供がいないから分からんだろうけど・・・」というけど、それは「辞めれない言い訳」にしか聞こえない。そんな人間は自分の意思・気持ちを最優先にできないので、中身のない肉の塊という存在になってしまう。

人間には魂が宿る。魂がない人間は生きる価値が無い。そんな無価値な人間の言い分を聞いても何もプラスにはならず時間の無駄。

「とにかく会社をやめる」という言葉にはとても同感、自分もとりあえず会社を辞めたから。周りの人間は異口同音に「次はどこ行くの?決めてないの?」と言ってくる。でも自分は”次をどうする?”ではなく、”今を辞める”を選択した。

 

何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。

『自分の中に毒を持て』P40より引用

最初から何でも成功する訳でもない。でも何かしないと前には進まない。そういう時は心の声に従って進めばいい。周りの雑音に邪魔されず。

 

危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決する時、人間は燃えあがる。それは生きがいであり、その時わきおこるのが幸せでなくて”歓喜”なんだ。

『自分の中に毒を持て』P84より引用

地球上の生物は死に直面すれば、生存本能により生き抜く事を最優先し危機を回避しようとする。その瞬間に感じるものは”恐怖”ではなく、”燃え上がる”ものである。それを受け入れ、そのまま心を燃え上がらせる。

それが「情熱」なのである。情熱なくして感動は起こらないのである。

 

むしろ、歌やスポーツや会話のうまいなんてヤツにかぎって世間の型や基準のもとに決められちゃって、それに馴らされている人間だ。

『自分の中に毒を持て』P80より引用

動物は群れる。人間も群れる生き物。しかし、他人に合わせて生きれば”生きている”感覚は感じれない。それは「自分が無い」からだ。セミの抜け殻みたいなもの、中身がなければ味は出ない。

最近人のカラオケを耳にする機会が増えたが、歌手の歌い方をそのまま真似して歌う人間をよく見かける。本人からするとそっくりコピーするのがいいのだろうが、そこにその人の味は出てこない。

知らず知らずに周りの人間たちが決めた基準にハマって生きている。そこから脱却をしないといけない。その為には”そこにハマっている”と気付く事が重要である。

 

ぼくはかつて「出る釘になれ」と発言したことがある。誰でもがあえて出る釘になる決意をしなければ、時代はひらかれない。ぼく自身は前に言ったようにそれを貫いて生きてきた。確かに辛い。が、その痛みこそが生きがいなのだ。
この現代社会システムに押さえこまれてしまった状況の中で生きる人間の誇りを取り戻すには打ちくだかれることを恐れず、ひたすら自分を純粋につき出すほかはないのである。

『自分の中に毒を持て』P112より引用

日本の社会はよく「出る杭は打たれる」という言葉を使う。最近ではホリエモンや貴乃花親方のように、今までの秩序を壊そうとして社会的に潰される。しかしその生き様までは潰せない。

彼らにとっては、自分の考え方を強要されて変える事は死ぬことより辛い。いくら社会から追い出されようとしても、自分の主張は変えない。変えたくないのではなく、変えれないのである。どんな障害が待っていても、ひたすら前に進むしかないのである。叩かれても、叩かれても。

岡本太郎 本 自分の中に毒を持て 名言

変わらない組織があれば、外に出ていくのみ。そのまま中で腐るのは絶対イヤだ。

 

ただ、誰でもが本来やれる、やるべきこと。たとえみんながイエス、イエスと言っていても、自分がほんとうにノーだと思ったら、ノーと発言することだ。もちろんそれだけで、今言ったようにこの閉ざされた社会、モラルの中では大きな抵抗を受ける。
純粋に強烈に生きようとすればするほど、社会のはね返しは強く、危機感は瞬間瞬間に鋭く、目の前にたちあらわれるのだ。いつでも「出る釘は打たれる」。
だからといって気を遣って、頭を引っ込めてしまっては、人間精神は生きない。逆に打たれなければ。「打ってみろ」と己をつき出す。打たれることによって、自他をひらくのである。ますます拡大して爆発する存在になるのだ。

『自分の中に毒を持て』P129より引用

映画「イエスマン」の中でも、オチで描かれていたが「何でもにイエスではなく、自分のしたい事に本当にイエスと答えれるようイエスを踏み台にする練習だ」と。

 

そうすると”したくない事”にも「ノー」と答えれるようになる。「やらされる仕事」はいくらやっても自分の力にはならない。でもそれを「ノー」といえずに働き続ける社会人は多い。

そしてその言い訳に「家族の為」「会社の為」と自分に言い聞かせる。その結果、自分が腐る。そんな生き方でも構わない人はそうすればいい。でもそこに何か自分がこの世に生きた価値があっただろか、振り返るといい。

社会から叩かれる事は逆に成長に繋がる。だから怖がらずに自分を尊重して、意見を曲げずに進めばいいのだ。

 

よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、凡人にはむずかしいという人がいる。そんなことはウソだ。
やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。
もう1つうまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない。

『自分の中に毒を持て』P136より引用

この言葉はよく身に染みて理解できる。ここ最近海外旅行に行っているが周りの人間達は「君は暇で金があって行けるけど、オレは守るべきものがあって行けないよ」と言われる。

そういう人間らは”海外旅行に行こう!”という発想自体がナンセンスであり、行動しようとすら思わない。でも海外旅行に行くには、まず行動が先。”できない言い訳”で始まり、そこから進めない。

だけど、いくらでも海外旅行に行く人間は沢山いる。そういう人たちは”まず行く”を最優先にして行動している。それだけの差である。

 

 

自由に、明朗に、あたりを気にしないで、のびのびと発言し、行動する。それ
は確かにむずかしい。苦痛だが、苦痛であればあるほど、たくましく挑み、乗り越え、自己をうち出さなければならない。若いときこそそれが大切だ。この時代に決意しなければ、一生、命はひらかないだろう。
激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。
しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
世の中が変わらないからといって、それでガックリしちゃって、ダラッと妥協したら、これはもう絶望的になってしまう。そうなったら、この世の中がもっともっとつまらなく見えてくるだろう。
だから、闘わなければいけない。闘いつづけることが、生きがいなんだ。

『自分の中に毒を持て』P141より引用

自分も周りとの闘いから逃げている時があった。正確に言えば逃げている時がほとんどであった。しかし一度立ち向かって闘ってみたら、自分が思っていたよりも相手は強くなかった。勝手に自分で敵を大きくイメージして敵わないと思っていただけなのだ。

有名な「桶狭間の戦い」で織田信長軍は相手軍の10分の1とも言われる人数ながらも、策略を練り勝利をもぎ取った。それは小さい頃から彼が周りと立ち向かって闘ってきた結果である。

一度闘い、チャレンジする事を覚えれば自然と足取りは前に進むようになる。そうすると闘う・チャレンジする事がどんどん楽しくなっていくのである。

 

これを女性の側に立っていえば,ほんとうはこっちの人が好きなんだけど、社会的には偉くなりそうもないし、あの人と結婚すれば、将来の生活が安心だか
ら ・・などという結婚は、極端に言うと一種の売春行為である。
そして、そういう安定の上に、ドテッと坐りこんでしまった女は、もはや”女”ではない。恋愛というものはまったく”無条件”なものである。そこに打算が入ると、やはり身を売っていることになる。空しい。
結婚する相手と出会うことだけが、運命的な出会いだと思っている人が多いよ
うだが、運命的出会いと結婚とは全然関係ない。
たとえ、好きな女性が他の男と結婚しようが、こちらが他の女性と結婚しよう
が、それはそれだ。結婚というのは形式であり、世の中の約束ごとだ。ほんとうの出会いは、約束ごとじゃない。たとえば極端なことを言えば、恋愛というものさえ超えたものなんだ。つまり自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手のなかに自分自身を発見する。
それが運命的な出会いというものだ。

『自分の中に毒を持て』P165より引用

自分の人生の安定を求めての結婚を「一種の売春行為」と表現するところが岡本太郎らしい。婚活パーティーなどは、団体の売春斡旋と言っても過言ではなさそう。

自己啓発的な自伝で恋愛観についても書かれているのは面白い。そして女性を拘束するのではなく、その人を本当に愛してさえすれば構わないと考えているところが自分も共感できる。

相手と「付き合う」「結婚する」というのは相手を自己満足に拘束したいだけなのである。本当の愛はそこにはない。

相手と一緒に時間を過ごし、いろんな事を吸収する。そして自分の中で、自分自身に問いかける。そして自分自身と対峙し、向き合い闘い、最後に愛せるようになる。岡本太郎氏とはレベルが違うかもしれないが、自分も同じような経験をしたのでよく理解できる。

 

ぼくの場合、愛はすべて闘いだった。
闘いと 言ったって、女性といざこざを起こすわけじゃない。女性を愛するときは、自分との闘いになるわけだ。彼女とほんとうに一体になるためにどうすればいいかというーーこれは、自分自身にどう対すべきかということなんだ。つまり自分を強烈にたたきつけて彼女と一体になれるかどうかということだ。
男性の方だけが愛している場合は、自分だけで燃えているんだ。
自分で自分を試しているんだ。自分が自分に挑んでいる。だから自分に勝つか負けるかが問題で、これは相手に対する闘いでなく自分自身に対する闘いなんだ。ぼくが体験してきた愛というのは、そうだった。

『自分の中に毒を持て』P173より引用

デートの約束をしていて、前日スッポかされた事がある。宝塚歌劇団の公演でSS席のいい場所を並び席でネットで購入して、とても楽しみにしていただけにとてもショックであり残念であった。その連絡が来た時は魂が抜けたようになった。一緒にいた後輩君に「どうしたんですか?なんか魂が抜けたような感じになってますよ・・・」と言われたぐらい。

その後、なんとか落ち着きを取り戻し、その子の事を考える。「せっかく行けるというから高いチケットを購入したのに!」とか「急に怖じ気ついたんだろう!」や「本当はオレの事が好きではないんや!」と色々な考えが湧いてきた。

でも色々と考えた後に、「チケットを買ってからデートに行けるまでを楽しめていた」事に気付く。その間のワクワク感はそう簡単には手に入れる事はできない。それに当日ドタキャンではなく、前日に連絡をくれたから叔母を誘って、なんとか席を埋める事もできた。勿論叔母はとても喜んでくれた。

その子がいなければ、そんなワクワクも叔母を宝塚歌劇団のいい席に連れていって喜ばせることもできなかった。そう考えるとその子の存在自体に感謝せずにはいられない。

ただ世間の人間はこういう事態に陥ると相手を攻撃する。でも本当は自分自身と対峙して闘わなければいけないのである。ここに書かれているように”愛”とはそういうものなのだ。

 

急ぐ必要はない。遠くから彼女を想って見守って、素晴らしい女性に成長するようにできるだけのことをする。楽しいじゃないか。
もし手紙を書くのなら、ラブレターではなく、まず友情のこもった手紙を出すほうがいい。そういう親しい手紙で十分にこちらの気持ちはわかる。
恋愛というのは、とかくエゴイスティックになるけれど、相手を想いやる余裕
を持ちたい。
人生だって、余裕のある、ひろがりに満ちた人生のほうがいいだろう。

『自分の中に毒を持て』P181より引用

思い切って人生初といえる告白をして、見事に振られたことがある。でもその後お帰り道、笑顔ですごい嬉しそうに帰っていた自分を思い出す。

 

それは今まで自分の気持ちを人に思い切って伝えた事がなかった。その壁を超えれた喜びがあったからだった。振られた事は全然気にならない。

ある人にアドバイスされた。「焦る必要はない。ゆっくりと見守ってあげてね」と。

このようなトキの名言にもとても共感できるのである。そしてそこで付き合わなかったからこそ、ゆとりのある広がった世界を見続ける事もできたのだから。

 

芸術と言っても、何も絵を描いたり、楽器を奏でたり、文章をひねくったりすることではない。そんなことは全くしなくても、素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。
失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家
なのだ。

『自分の中に毒を持て』P212より引用

 

最後のこの言葉であなたはどのように感じるだろうか?

岡本太郎の生き様に何を感じるか?

 

ちなみに母親がこの本の表紙に書かれている「あなたは”常識人間”を捨てられるか」と書いてある一文を読んで、一言こう言った。

「アンタ、常識人間とちゃうのにな」

と・・・。

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