ここにかつて勤めていた職場があった。
この場所を離れて一年半。
多少時間はかかったが、更地になった。
昔(自分の入社前)はこの地域でも優良企業だったそうである。
しかしその絶頂期に酔いしれて、その後衰退の一途を辿った。
3年連続赤字決算でほぼ倒産寸前状態に。。その後業界大手メーカーに買収された。
その大手上場会社から出向で数名の人間がテコ入れにきた。
しかしそれから2年半経って、会社の状態は更に悪化した。
この一連を通じて「いい勉強」になったと思う事は、大手メーカーの人間ほど「中身のない」人間が多い。
※居ない訳ではありません
特に業績の伸び悩む大手会社には「上司の言う通り」を第一優先に扱ってしまうようになりやすい。
自分の頭でこれは「いい事か?」or「よくない事か?」という考える事を放棄し、納得のしない
「上司の指示」に従うようになる。
確かにこれでいけば、何か問題が起きても自分の責任にはならない。
ただし、心・気持ちの入っていない人間の作り出すものには「いいもの」はできない。
先日
失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織
マシュー・サイド (著),
ボクの大好きな感じの本で、行動経済学的な感じでもある。
失敗が起こる要因でよくある事項の一つとして
・社会的な上下関係は部下の主張を妨げる
権威あるものに対して、「控えめな表現」を使う事が多い
が挙げられている。
まさに大企業病ともいえるものだと感じた。
それと、自分自身に責任感を持っていないので失敗と向き合えずに成長できない。
あともうひとつ、これは明確に書き出されている。
「多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突きつけられると、自分の過ちを認めるよりも
事実の解釈を変えてしまう。次から次へと都合のいい言い訳をして、自分を正当化してしまうのだ。
ときには事実を完全に無視してしまうことすらある」
これには「認知的不協和」という概念があり、自分の信念と事実が矛盾している状態、あるいは
その矛盾によって生じる不快感やストレス状態をしめす。
まさしく、自分の上司がこの状態にあり苦しんでいた。
自分の中では「こうすべき」という考えがあるにも関わらず、親会社から出向で来ている人間にその考えを
付き通せない。明らかに崖に向かって迷走をしていると分かっていても、その意見を貫き通せない。
その為にその上司に続く部下連中も同じ「膿の苦しみ」への道へ引きずり込まれていった。。
そういう事象もあり、まだこの会社は底なし沼に沈み続けている。
この度、大手のよくある人事で社長が交代になる。
これでどう変わるか楽しみではある。
何事もすべて「いい経験」。あとはそれを今後にどう活かすか次第である。
失敗したわけではない。
それを誤りだと言ってはいけない。
勉強したのだと言いたまえ。
- トーマス・エジソン -
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