夜のバイシャ地区でコルメシオ広場やサン・ジュスタのエレベーターを眺める-ポルトガル旅行記49

ポルトガル旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

夜のバイシャ地区は怪しい売人が沢山?!

夜のリスボン市内。アルファマ地区で楽しみにしていたファドを鑑賞した後は、リスボン市内の中心部であるバイシャ地区の方へ向かって歩いていきます。

 

リスボン市内の夜

この内装がお洒落なオイルサーディンの缶詰屋さん、本当にポルトガルの街ではよく見かける。どこにでもある感じがしたけど、流石にオビドスの街では見かけなかった。

 

既にこの時は23時過ぎだったので、リスボン市内の中心部といえどもあまり人通りは無かった。

 

それでもチラホラと行き交う地元民と見られる人達はいたけど、あまり喧騒はなく静かなリスボンの夜。

 

リスボンの街はヨーロッパ大陸でも最西端に近い場所にある都市。

 

 

コルメシオ広場にて

そして歩いていると、大きな広場が見えてきた。こちらは「コメルシオ広場(Praça do Comércio)」と呼ばれる、テージョ川に面したリスボン市内でも大きい170m角の広場。

 

リスボン市内のコルメシオ広場に昔あったリベイラ宮殿の様子を表す絵

このコルメシオ広場は、16世紀にポルトガルが繁栄した大航海時代の国王であるマヌエル1世が造ったリベイラ宮殿の跡地。

 

そんなリベイラ宮殿があったこの地区は1755年のリスボン大震災で、壊滅的な状況となった。しかし震災の後は、綿密な都市計画によって耐震構造を考慮した街造りが施された。そのメインがこの正面に見えるバイシャ地区である。

 

そんな地震からの復興を表したのが、この奥に通っているアウグスタ通りとこのコルメシオ広場を繋ぐ”勝利のアーチ(Arco da Rua Augusta)”と呼ばれる彫刻物。このバイシャ地区は震災後18世紀に再建されていったが、このアーチは19世紀後半に完成したもの。

ちなみにそのアーチの架かっている建物は最高裁の裁判所。

 

夜のコルメシオ広場を眺める 動画

 

こちらの騎馬像は、リスボン大震災の5年前にポルトガル国王となったジョゼ1世(José Ⅰ)の像。彼は震災時に馬車の中に取り残されて、それ以来閉所恐怖症になったそうな。そして震災時には周辺諸国に援助を求めて、莫大な予算を捻出してリスボンの街の再建に取り組んだのである。

 

1755年のリスボン大震災では約5~6万人が亡くなったとされている。この大震災までリスボン中心部には密集した建物が多く、震災の後に至る所で火事が発生し、それが隣接する建物に火が移り大規模な火災がリスボンの街で起きたとされる。そしてそんな火事から逃げる人々がテージョ川付近に非難した所を、大きな津波が襲い津波の被害者だけでも約1万人程がいたと推測されている。

 

ただしリスボンの街はそんな悲劇を教訓にし、再興された街並みは充分に建物同士の間隔を広めて、幅の広い道路も造る都市計画を練った。なお先程訪れたアルファマ地区も震災にあったが、あのエリアは細い路地が多いのでそこまで飛び火しなかった為に震災の被害は少なかったそうだ。

 

そのコルメシオ広場に面する、こちらは海ではなくテージョ川(o Tejo)。スペインとも繋がっており、スペイン語ではタホ川(el Tajo)と呼ばれる。イベリア半島ではドウロ川を抜いて、全長の距離が最も長い川で、このテージョ川を上っていくとスペインのトレドの街にたどり着く。

 

このテージョ川は断層の上にあり、この周辺では過去に何度もの大地震に見舞われている。ただし被害と言うと人間から見た主観的な表現であり、常に活動して地殻を形成している地球からすると”呼吸しているだけ”といった感覚なのかもしれない。

 

テージョ川に面しているだけあって、水辺の雰囲気がとても爽やかな広場周辺。昼間は多くの人が行き交う場所だけど、深夜に近い時間帯にはご覧のように人通りが少ない。

 

凱旋門とも呼ばれる、こちらのアーチは1759年に造る計画がされ1873年に完成したもの。数人の建築家が設計したもので、この時間は閉まっているが上部まで有料だが登る事も出来るようだ。それとアーチの上部には”VIRTVTIBVS MAIORVM  VT.SIT.OMNIBVS.DOCVMENTO.P.P.D.”と文字が入っているのが見える。

 

大体このような凱旋門って、戦いを終えて帰ってきた英雄を讃える為に造るものだけど、大震災にも負けないリスボンの街を体現したかのような荘厳な造りの門である。

 

 

アウグスタ通りを歩く

そしてそんな門を下と通ろうとすると、広場で1人立っていたパーカー男がこちらに寄って来て「ドラッグ??コカイン??」と怪しげな声を掛けてきた。このような中心部の夜間は怪しげな売人もどきも居るので、少し注意が必要。

というか全然怪しい薬なんて欲しくも無いけどね。。

 

ただそれ位で、他には全然危なくは感じないリスボンの夜。他の観光で訪れたヨーロッパの夜の街も全然不安を感じなかったけど、アテネの夜だけはデモ隊を追っ払う催涙弾のガスを吸った時だけはとても記憶に残っている。

 

 

 

夜のアウグスタ通りの景色 動画

 

1755年の大震災後にキチンとした都市計画の基に再建されたバイシャ地区なので、格子状の綺麗な街並みとなっている。

 

ヨーロッパではあまり地震は起きないというイメージがあるけど、リスボンの街ではその大震災の前後16~18世紀にも度々そこそこの規模の地震が起こっている。テージョ川の下には活断層があり、リスボンの街は地震と共存している街なのである。

 

こちらのお店はリスボンに本拠地があるポルトガルリーグに所属するサッカーチームである、SLベンフィカ(スポルト・リジュボア・イ・ベンフィカ:Sport Lisboa e Benfica)のオフィシャル・グッズショップ。1904年に結成されたポルトガルリーグでも古豪のチームで国内リーグ戦では実に37回もの優勝を誇る。

 

今ではクリスチアーノ・ロナウドがポルトガル史上最高の選手というイメージになっているけど、彼が出てくるまでポルトガル歴代で最高の選手とされたエウゼビオが所属し、その時代には黄金期を迎えていた。

 

そろそろトイレに行きたくなってきたけど、どこに公衆トイレがあるかは分からず周囲をうろつく。すると更に雨もポツポツと降ってきた。

 

リスボンのお土産にはこの街を代表するイメージにもなっている、レトロな路面電車のデザインが入れられているものが多かった。

 

 

夜のサン・ジュスタのエレベーター

そうやってウロついていると、向こうの方に光る大きな建物が見えた。

 

それに近寄ってみると、これがガイドブックに記載されてあったサン・ジュスタのエレベーター(Elevador de Santa Justa)であった。こちらの人達は通称”カルモのリフト(Elevador do Carmo)”と呼ぶらしく、1902年に完成したエレベーター。

 

その近くに停まっていた車の車体にSIN(サイン)・COS(コサイン)と懐かしい数式が書かれていた。

 

こちらのサン・ジュスタのエレベーターはエッフェル塔で有名なエッフェル氏の弟子が設計したそうで、完成してから約100年経った今でも勿論現役のエレベーターである。ただし鋼鉄製の外観だけど、中で動いているエレベーターの箱は木製なんだとか。

 

古いホテルで見られるようなレトロなエレベーターだけど、このように屋外にこれだけの大きさの物が今でも動いているというのには少々ビックリする。ちなみにエレベーターの実用性としてではなく、今ではリスボンを訪れる観光客にとってランドマーク的な存在として大人気で、このエレベーターで昇る為に昼間には大勢の人が並び、待ち時間も1時間以上かかるという。。

 

そんなサン・ジュスタのエレベーターから、反対側を見ると丘の上に照明で照らされたサン・ジョルジェ城が見える。サン・ジョルジェ城内の見学は明日の楽しみである。

 

それとこのエレベーターの裏側の通りには、このように日本でよく見かける日本企業の店舗もある。

 

このリスボン市内は最初に地図で見ただけでは全然想像も出来ない位に、急斜面の坂道が多く、起伏のとても激しい街である。

 

だから低地と高台を結ぶ、このようなエレベーターが何台も造られたそうだけど、未だに残っているのはこのサン・ジュスタのエレベーターだけだそうだ。

 

そしてグリーンラインの地下鉄の乗り場があるロシオ広場付近にやって来ると、急に雨が降ってきた。辺りは急にビチョビチョ状態になる・・・。

 

ここでもまたオイルサーディンの缶詰がお洒落に売られているお店を発見。本当にリスボンだけでも色んな場所に出店している。

 

ちなみにこの写真左下でそのお店の前に立って電話をしているパーカー男も、さっきコルメシオ広場で声を掛けてきたような怪しい売人だった。こんな時間に男1人で彷徨い歩く男は、彼らからするとヤクを求めて来ている奴という目で見られていたのかもしれない。

 

このロシオ広場(Praça de Rossio)は別名”ペドロ4世広場(Praça de D. Pedro Ⅳ)”とも呼ばれている。この広場はリスボンの街でも待ち合わせスポットとして人気があり、そんな目印になるこちらの高~~い柱の上には広場の名前が付いている、初代ブラジル皇帝ともなったポルトガル国王のペドロ4世の像が立っている。

 

奥には「マリア2世国立劇場(Teatro Nacional D. Maria Ⅱ)」という建物が見える。15世紀半ばにこの辺りにエスタウス宮殿が建てられ、そこで宗教裁判が行われてここロシオ広場では公開処刑場になっていたという。そんなこのエリアも1755年の大震災の影響でこの辺りにあった建物は壊滅してしまったようだ。

 

地下鉄に乗り、ホテルに帰る

オシッコを我慢しながらロシオ広場周辺を散策していて、地下鉄乗り場にはトイレがあるだろうと思っていたけど、残念ながらトイレは予想通りにあったけど、時間が遅かったからかトイレは何と閉められていたのである・・。

 

という事で仕方なく、ホテルに到着するまでオシッコを我慢する事に。。

 

24時前の地下鉄グリーンライン車内の様子。遅い時間だけど、そこそこに乗車している人達の姿が見える。

 

ホテルの最寄り駅であるローマ駅に着いた後は、小走りでホテルに向かい、何とかオシッコを漏らす事なく部屋に辿り着いて一安心する。。

 

夜のリスボン市内でファドを聴いたり、アルファマ地区などを散策して楽しめた夜に、ひとり部屋で乾杯してから就寝するのであった。

 

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