マヌエル様式の最高傑作と言われるジェロニモス修道院の前に立つ-ポルトガル旅行記50

ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

マヌエル様式の最高傑作

さてこのポルトガルツアーも遂に6日目の朝を迎えました。今日はやっとポルトガルの首都リスボンの観光です。ただしツアーで案内してくれるのは午前中だけで、午後と夜はオプショナル・ツアーとなります。
ちなみに今回のオプショナル・ツアーというと

【ケルース観光と散策】11,000円 時間:  14:30~17:30
【ファドディナーショー(夕食付)】13,000円 時間:  19:30~22:00

とこのリスボンで2つありましたが、【ケルース観光と散策】は催行人数不足で中止。ファドディナーショーは自分で探して行こうと思っていたので申し込まず。

 

なので夜のファド・ディナーショーを申し込まなかったら、昼食から終日フリータイムとなります。

 

という事で事前に考えていた午後の散策ルートは

リベイラ市場(スタート)⇒⇒ケーブルカー(ビッカ線)⇒⇒カモンイス広場⇒⇒サン・ロケ教会⇒⇒ケーブルカー(グロリア線)⇒⇒カルモ教会⇒⇒サン・ジュスタのエレベーター⇒⇒サン・ジョルジェ城⇒⇒グラサ展望台⇒⇒サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会⇒⇒泥棒市⇒⇒サンタ・エングラシア教会⇒⇒適当な店でのファド演奏鑑賞&食事

というルートでケーブルカー以外は徒歩という内容。

 

以前トルコ旅行で一緒になった事のある”メルハバおっちゃん”もオプショナル・ツアーには申し込まずで、ハードスケジュールではあるものの、ボクと一緒にリスボン市内を散策する事に。

 

しかし予定していなかった事が起こる。というのも同行者は”メルハバおっちゃん”だけだったハズが、ある奥様が「私一人じゃどこも行けないので一緒に付いて行きます!」との告白が。。

ボクの想定ルートは基本歩きなので「普段あまり歩かない人からするとシンドイと思いますよ」と伝えると「それは分かってます、頑張って付いて行きますのでヨロシク。ただ少しだけの休憩は頂戴ね!」との事。

 

そしてその後、更にもう1人別の奥様とオジサンが一緒に付いてるという。気楽な自由気ままのリスボン市内散策だった予定が、急に5人編成の”チーム・ヒロ”が結成されてチームリーダーとなってしまい、急に責任感を感じるのであった。。

 

まあ想定外の事だったけど、やる事は何も変わらず自分を貫くだけで、後は相手方が付いて来れるかだけ。

とりあえず朝食はしっかりと食べておこうと思った、この時。。

 

 

リスボン市内にて

せっかくの首都リスボン市内の観光日であったが、残念ながら空は曇で覆われて雨が降っていた。

 

今日はバスでリスボン市内に移動するけど、明日使うバスは違うバスになるので、持って行く荷物で不要な物はバスに置けない。だから基本手ぶらで観光・散策するボクは、最小の荷物にしなければならなかった。

 

多少の雨位ならば傘無しで撥水素材のパーカーを着ていれば大丈夫という事にして、リュックサックなどのカバン等は全てホテルの部屋に置いて出発。ポケットにはスマホ充電用モバイルバッテリーと充電ケーブル、それとダイソー製三脚と寿司キーホルダーのみ。

 

市内にあるアグア・リブレス水道橋 動画

リスボン市内に向かう途中に見えてきた、大きな水道橋はローマ時代に・・・ではなく18世紀に慢性的な水不足に悩んでいたリスボンの街の為に造られたもの。この「アグアス・リブレス水道橋(Aqueduto das Águas Livres)」と呼ばれる水道橋は1748年に完成したもので、その高さは65mあり世界で最も高い石造りの橋とされているそうだ。

そして1755年に悲劇が起こったリスボン大震災では、まだ橋が完成して直ぐだったのもあり、無事だったとか。ただ残念ながら今ではもう使われておらず、観光地となっており橋の上を渡る事が出来るという。

 

そんな水道橋近くの通りの壁には、一面アズレージョで飾られている。

 

そして大きな建物が見えてきました。これが今日最初の目的地である。

 

世界遺産:ジェロニモス修道院にて

ホテルから約25分位で辿り着いた、こちらが1983年にポルトガルの世界遺産としては初めて認定された『リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔』のジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jerónimos)である。

ちなみにこの1983年にはポルトガル国内で他に3件『アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町』『バターリャの修道院』『 トマールのキリスト教修道院』が同時に文化遺産として世界遺産に登録されたのである。

 

この辺りはリスボン市内でもベレン地区(Belém)、もしくはサンタマリア・デ・ベレン地区(Santa Maria de Belém)と呼ばれる場所。この場所から大航海時代の英雄であるヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)が、1497年7月8日土曜日にインド航路を求めて旅立って行った所だそうだ。

ちなみにベレンという呼び名はキリストの生誕の地とされている、イスラエルにあるベツヘレムの街の名前をポルトガル読みしたものとか。

 

ちなみにヴァスコ・ダ・ガマの航海記録が詳細に記されていた資料は、リスボン市内にあった王立図書館に保管されていたが、1755年に起きたリスボン大震災で王立図書館も倒壊し周辺の火災に巻き込まれて、その大部分が失われてしまったという。

 

ジェロニモス修道院周辺の景色 動画

 

こちらはそんなジェロニモス修道院に属するサンタマリア教会の南門。キリスト教の12使徒など聖人の彫刻が飾られているファザード。

 

ヴァスコ・ダ・ガマが開拓したインド航路によってもたらされた莫大な資金を、当時の国王マヌエル1世が豪勢につぎ込んで1502年に着工された。ポルトガル王国の最盛期に、その力を後世に見せ付ける建物である。

 

左側に長~~い建物があり、こちらはジェロニモス修道院の回廊となっている。こちらもマヌエル様式の建物で、内部には美しいアズレージョでも装飾されているという。

 

 

ただこのジェロニモス修道院は外側の見学だけで、残念ながら中には入らないという。どうしても中に入ってヴァスコ・ダ・ガマの亡骸などが収められている棺が見たければ、後程のフリータイムの時に来て下さいとの事。。

 

こちらはジェロニモス修道院の建物の入口。

ただし中には入らずに、ここから西門のファザードの造りを眺めるだけだそうだ。。

 

今回のポルトガル旅行で一番勉強になったのは、この建物にも見られるような”マヌエル様式”である。大航海時代に出来た建築様式だけあって、船に使われる縄や錨などの形が装飾されており、名実ともにポルトガルを象徴するものである。

 

こちらの回廊の外側は汚れているというか、燃えたススが付いているようにも見える。

 

サンタマリア教会の西門にて

入口ギリギリまで進んで「この西門を見てください!」との事。先程正面から見た南門と共に、マヌエル様式で聖人などが飾られた特徴的な部分であるという。

 

左奥に見える大きめの像は、ここを造らせた当時の国王であるマヌエル1世。自分の守護聖人としていた聖ジェロニモス(聖ヒエロニムス)という、その名前をここに名付けたそうだ。

 

この聖ヒエロニムスはベツヘレムで亡くなったが、そのヒエロニムスが翻訳作業をしていたという教会がイスラエルのベツヘレムにあるキリストの生誕教会(降臨教会)の横にあり、その場所には彼の像が立てられていた。

 

マヌエル様式の装飾には、縄や錨以外にも波やサンゴや海草などもあったり、それ以外にも航海先の南アフリカやインドなどの植物や宗教関連の形も取り入れられている。

 

ロマネスク様式・バロック様式・ゴシック様式・ルネッサンス様式などの建築様式はヨーロッパの国々に行けば、大体どこでも見る事が出来るけどこのマヌエル様式はこのポルトガルのみ。

 

そんなマヌエル様式の中でも一番目立つのが、柱などに入れられているこちらの縄模様。3本のロープを捻りながら装飾された感じを見れば、直ぐにマヌエル様式の建物だと分かる。

 

そんなジェロニモス修道院の反対側に目をやると、分厚い雲から太陽様が顔を出そうとしている最中。今回のポルトガル旅行では朝出発時は雨だったけど、目的地に着いてみると雨が止んで晴れてきた事が多かった。

それで添乗員さんが「今回の参加者さんの中に、凄い晴れ男か、晴れ女がいらっしゃるみたいですね!」と言うと、あちこちから「それ、オレやオレ!」とか「そうよ、ワタシが晴れ女なのよ!」という声が色んな所で聞こえたっけ。。

 

雨どいから水が流れていく排水溝はドラゴンではなく、ガーゴイルか、怖そうな人間っぽい生き物のように見える。

 

リスボンきっての人気な観光地でもあるので、建物の前にはアクセサリーのような物を売っているオバサンの姿が見える。たださっきまで雨が降っていたので、他の物売りの人影はあまり見れなかったけど。

 

 

サンタマリア教会の南門にて

そして西門を見た後は南門に向かう。このファザートもとても細かい彫刻の像が沢山造られているのが見える。

 

これほどの細かい彫刻を仕上げるのにも莫大な費用が掛かっただろう。これだけを掘るのには数十人の職人を集めて、数年はかかるので大航海時代に得た資金を注ぎ込んだのだろう。ただそう思うと、インド航路がもたらす香辛料やアジアの交易品で稼いだお金をもっと兵器や別の技術に注ぎ込んだ方が良かったのかもと思ってしまう。。

 

南門上部にはキリストの弟子である12使徒の彫刻が見られる。ただキリスト教の知識が乏しいボクには、鍵を持ったパウロ位しか見分けが付かないのであるが。。

 

そして南門の正面にある2つの扉の間にある像はエンリケ航海王子で、大航海時代の礎を作った人物である。

 

地の利を活かしたポルトガル王国は大航海時代に最盛期を迎えるが、その後マヌエル1世の死去や血縁の後継者が居なくなりスペイン王国に併合され、落ち目になる。そしてその後も多少経済が上向く時代もあったようだが、近代までイマイチな財政状況の国となって落ちぶれてしまったのである。

 

それにしても、当時はこういったような荘厳な建物を造り、それを豪華に飾れば飾る程に自分の名声が上がると思ったのかもしれない。確かに莫大な資金をつぎ込んで、このジェロニモス修道院やベレンの塔を造らせたマヌエル1世の名声はこういった建物のおかげで今の尚残るのである。

 

そういう意味ではいいお金の使い方だったのかもしれない。中途半端な贅沢ではなく、限度を超えた贅沢が新しい文化を生み出したのである。ドイツのノイシュバンシュタイン城も当時の王様が贅沢を極めて造り、当時の国民たちは圧政に苦しんだが、今の時代となるとその贅沢な建物が世界中から観光客を集める事になっており、その観光客が使うお金の経済効果では城を建てる為の費用を既に上回る収入になっているという。

 

そんなジェロニモス修道院の前にはトラムが走っている。ただリスボン市内を走る、レトロな路面電車ではないけど。

 

 

次はエッグタルトの人気店に向かう

さてジェロニモス修道院の外観だけを見学した後は、この近くにあるエッグタルトのとても美味しいお店に連れて行ってくれるという。ポルトガルではエッグタルトを”パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)”もしくは”パステル・デ・ベレン(Pastel de Belém)”と呼んでいる。

 

人気のエッグタルト店に向かう道中 動画

 

個人的には「こんなエッグタルトのお店に行く時間があれば、ジェロニモス修道院の中まで見学させてくれよ!」と思っていたけど、その店のお菓子を食べてみたらその店に行く理由が納得できたのである。

 

女性が参加する割合が多い、このようなパックツアーでは女性の満足度を高めるコース内容になっているのだろう。だから並ぶ歴史的な建造物は敢えて中に入らずに、とても美味しいカスタードクリーム入りタルトを食べた方が女性陣には好評なんだろう。。

 

辿り着いたのがこちらのお店。何と驚く事にこのお店の前では、さっきジェロニモス修道院の前では1人しか見なかった物売りのオバサンが数人も立っていた。

それだけの人が集まる人気店という事の裏返しである!

こんな旅はまた次回に続きます!

↓↓↓↓ポルトガル旅行記:初回↓↓

【ポルトガル旅行記①2020】イベリア航空経由でまずはスペインへ-阪急交通社
阪急交通社トラピックスのツアーで訪れた1月のポルトガル。まずは成田空港からイベリア航空でスペインに向かいます。

【コメント欄】