タリンで最もロマンティックな場所と言われるカタリーナ通りから観光開始-バルト三国旅行記-33

バルト三国旅行記:6日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

薄暗いタリンの街で

ここはエストニアの首都タリンで世界遺産に認定されている旧市街地まで、歩いてすぐの場所にある「VIRU HOTEL」。2階にある朝食会場に向かいますが、その手前にはこのようなボードが立っています。ホテルが2種類に分かれているのか、朝食会場は2箇所に分かれていて、我々は左側に進みます。

 

すると広い朝食会場には、そこそこに人が集まっています。というのも朝食会場がオープンするのは午前7時からでしたが、ボクが来たのは午前8時前。

 

普通のトマトをカットしたものよりも、ビュッフェではプチトマトの方が自分のお皿の占有率が少ないので、なるべくプチトマトの方を優先してお皿に取る事が多い。

 

今日は一日タリンの街観光なので、しっかりと朝食を食べてエネルギーに繋げる必要がある。

 

といってもこれだけしか朝食を食べないんだけどね・・・。

 

お釣りとかで何だかんだ50セント硬貨が沢山貯まってきた。公衆トイレが有料な場所が多いので、それを利用する場合にはこのような硬貨は重宝するけどあまり増え過ぎてもな・・・。

 

 

タリン旧市街の観光

宿泊しているホテルはタリン旧市街から近く、歩いて5分の距離にあるので、今日はバスに乗らずに歩いて移動していきます。

 

ここはヴィル通り(Viru street)で、この通りの線上に我々が宿泊するヴィルホテル(Viru Hotel)がある。

 

こちらはそんなヴィル門の前に何軒も営業している花屋さん。24時間営業の為に朝早くからも沢山の花が店頭には置かれている。

 

お店を見ているとそんなに花を買いそうなお客さんの姿は見えなかったけど、24時間営業をする位なのである程度は需要があるのだろうか?!

 

旧市街地にはこちらのヴィル門から入って行きます。城壁は14世紀から造られ強固な城壁として完成したのは16世紀中頃。城壁の厚さは最大3m、高さは約16mでトータルの長さは2.35kmだったという。今ではそんな城壁で残存しているのは1.85km。

 

ヴィル門から入ってすぐにはこのように女性用下着を販売しているお店もあります。特に旧市街地だからといって、お店の景観はあまり気にしていないのかな・・?!

 

この城壁の上は有料ではあるけど、歩く事が出来る。ただし城壁を一周できる訳ではないけど。

 

 

カタリーナ通りにて

城壁沿いに歩いていると、こちらの通路があり、その中を進んでいくようだ。この通路は「カタリーナ通り」と呼ばれていて、タリン旧市街でも一番美しいとかロマンティックであると人気な場所だそうだ。

 

ここは1229年にこの街にやって来たドミニコ修道院がトーンペア地域(タリンの丘の上にある高台)から追い出されて、この場所付近に新たな修道院を建設した。そしてこの道はそのドミニコ修道院に隣接する礼拝堂として使われていた教会が建っていた壁である。

 

そんなカタリーナ通りの壁には墓石がこのように飾られている。

 

それにしても大きな墓石、これで1人分かな?!

 

クリスマスシーズンに合わせて、上には電飾が飾られていたりとロマンティックでもある。ちなみに空は薄暗いけど午前9時過ぎ。

 

この辺りにはそのドミニコ修道院があったが1525年に宗教改革が起こると、住民達が暴徒して修道院は破壊され、修道士達は追放される事になる。

 

そんな修道院の運命とは裏腹に、人気のある場所になったカタリーナ通り。ここにあったカタリーナ教会の名前が今もこの通りに残るのである。

 

宗教革命の後にも火事に遭い、廃墟となったドミニコ修道院の跡が見える。建物の内側には中庭もあるようだ。

 

教会だからといって安泰な場所な訳でも無かった中世。そもそも宗教ってもの自体が危ういもので、世の中にはキリスト教だけではなく色んな宗教があり、他の宗派を信じる他国に侵略されると追放されてしまう事になる。また同じキリスト教でも色んな考えの違いが出てきて、争いの火種になるのである。

 

カタリーナ通りの壁に描かれていた絵。落書きではなさそう・・・。。

 

カタリーナ通りを示す看板。エストニア語と英語の2種類が張られている。

 

奥にはロシア正教のニコライ聖堂が見える。タリンは西はカトリック、東はロシア正教とそれぞれから影響を受けていた地区である。だからそれぞれが融合する街並みとなっている。

 

タリン旧市街を歩く 動画

 

こちらの建物の中には大仏さんの頭部のような作品が置かれている。

 

中央に見える建物は中世の時代は倉庫として使われていたもの。建物右側の壁の上には梁が突き出ていて、ここに滑車が取り付けられていて、上に荷物を運んでいたようだ。

 

こちらは琥珀のジュエリーショップのお店。

 

中にはあまりお客さんが入っているようには見えなかったけど、このバルト海沿岸には琥珀の名産地が多い。琥珀というのは天然の樹脂が化石となったもので、一応宝石でもある。昔の中国では虎が死後に琥珀になると信じられていたという。

 

こちらの建物は旧市庁舎。尖塔の最上部には「トーマスおじさん」という風見鶏の彫刻が飾られて、今ではタリンの街のシンボルともなっている。ちなみにそんなトーマスおじさんの彫刻は今設置されているのは3代目。初代は約400年間、タリンの街を見守ってきたが1944年の第二次世界大戦時の爆撃によって塔が破壊されてしまってからは保管の為に旧市庁舎内に飾られている。

 

そんな旧市庁舎まで行く道には車止めのような、鳥の置物が置かれている。足元を見ずに歩いていると、思わず毛躓いてしまいそうな・・・。

 

今日もあまりスッキリとしない天気、気温は5度前後で相変わらず寒い。というか寒い時期に来ているので、それは当然なんだけどね。。

 

こちらのお店の窓には日本語も見える。世界中の勲章の模様を販売しているお店のようだ。

 

そのまま歩いていくと、聖ニコラス教会が大きく見えてきた。

 

この辺りは第二次世界大戦時の爆撃によって建物の多くが壊滅してしまった地域。だから見える建物は旧市街地ではあるものの、新しいもののように見える訳である。

 

この通り沿いの建物は殆ど第二次世界大戦後に再建されたものであるという。

 

こちらは第二次世界大戦後の写真。当時はナチスドイツ軍に支配されていたタリンは、ソ連軍の爆撃を浴びる事になるのであった。

 

勿論そんな地区に建っている聖ニコラス教会も、その爆撃を受けて塔などが損壊し、教会内部も破壊されてしまう。しかし元々教会内に飾られていた絵画などの貴重品は事前に疎開させていたので、それら美術品の損傷は回避された。

 

中世の頃は石造りで壁の厚みがある城壁は大活躍したが、現代の空からの爆撃にはほぼ無力の城壁。必然と取り壊される運命が待ち受けているのである。

 

今回はクリスマスマーケットを見たかったから12月に来たけど、ご覧のように天気が悪い日が続いた。もっと晴天の天候であれば、もっと綺麗な街や景色が心に残っただろうけど・・・。

 

こちらは郵便ポストだけど、ヨーロッパの物は好きに落書きやシールなど張られていて無法地帯のように感じてしまう・・・。

 

こちらは聖ヨハネ教会だけど、この周辺からは新市街地が始まっているのでまだ新しそうに見える教会。

 

 

独立運動戦勝記念碑にて

こちらはこのワバドゥセ広場に建てられている、エストニアの独立運動記念碑である。

 

ワバドゥセ広場付近の景色 動画

 

この記念碑は高さ23.5m、使われているガラス板は143枚。独立戦争中の1919年に記念碑を立てる案が生まれ、1936年に記念碑を立てるという法案が議会を通るものの、その後第二次世界大戦が勃発しナチスドイツとソ連に占領されてその計画は頓挫する。しかし1991年にエストニアは再び独立を勝ち取り、2009年6月に念願の独立戦争記念碑が立てられたのである。

 

エストニアの独立戦争時(1918~1920年)の間に、約4000人のエストニア人が死亡したという。そんな人達に向けた慰霊碑でもある。

 

よく海外の国に行くと独立に大きく尽力した、功績を残した人の銅像が置いてあったりするけど、エストニアではそのような人の像は全然見かけなかった。

 

奥に見える物のような塔は、この旧市街地付近に合計42~43も造られたという。ただそれは外敵を迎え撃つ為の要塞としてだけではなく、トームペアの丘に住む”上民”が丘の下に住む”下民”を監視する場所でもあったという。

 

そしてこちらには我々日本人に関連する建物があるという。

こんな旅はまた次回に続きます!

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